Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「魂の深淵」について
「世紀末芸術」(高階秀爾著 筑摩書房)の「魂の深淵」について、気に留めた箇所をピックアップしていきます。まず、オスカー・ワイルドのこの言葉から単元が始まっていました。「《すべての芸術は、表面であると同時にまた象徴である》~略~表面であるとは、芸術が単に頭で考えられただけのものではなく、厳として現実世界の中に存在する実体であり、しかも飽くまでも感覚的な存在であることの確認であると同時に、上に述べた世紀末芸術の平面性、装飾性の指摘である。そして、象徴であるとはその平面的、装飾的芸術が、華やかな造形表現によって感覚を陶酔させるものでありながら、決してそれだけで終るものではなく、その奥に、形や線ではあらわすことのできない神秘の世界を秘めているということを意味している。」次に印象から表現へという文章がありました。「『印象』とは、本来外から中へ押し入れるという意味である。印象派の画家たちは、外の世界が彼らに与えるものを忠実に記録しようとした。それに反し、『表現』とは、語源的には中から外へ押し出すという意味である。印象主義から表現主義へ、外部の印象を写し出すことから内部の世界を表現することへ、絵画の歴史は19世紀末の十数年の間に、大きく転換して行くのである。」この時代は私が個人的に学生時代から注目していた時代であり、当時私がドイツ表現派に傾倒した要因でもあります。最後に夢と幻想に纏わるオディロン・ルドンの言葉に、この時代の変遷が収斂しているような気がしています。「《暗示的芸術とは、現実の事物の夢の世界への発火であり、思索もまた同じ世界へと向う。頽廃であるか否かを問わず、暗示的芸術とはそういうものだ。さらに言えば、それは、われわれの固有の生命の最も高貴な飛躍を目指す芸術の成長、発展であり、必要な昂揚を通して生命を拡大させ、そのもっとも高い支え、精神的支えとなるものなのである。》それまで、合理主義の仮面に覆われていた人間の心理の秘密が、生命の最も直接的なあらわれとして、世紀末芸術において一躍中心課題のひとつと見做されるにいたるのである。」今回はここまでにします。