2025.05.27
「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第15章 マティスとフォーヴィズム」について気になったところをピックアップしていきます。「フォーヴの画家たち、ことにその中心的存在であるマティスにとって、セザンヌと新印象主義とが決定的な役割を演じたという事実は、はなはだ暗示的である。実際、マティスによる色彩の表現力の発見は、たとえば1904年に南フランスで描かれた《豪奢・静寂・逸楽》の画面にはっきりとうかがわれるように、新印象主義の色彩分割の技法に直接由来するものであるし、《サント・ヴィクトワール山》の画家について言えば、マティスはすでに1890年代から、他の印象派の画家たちとは違うセザンヌの歴史的意味を、はっきりと見抜いていた。」ここで、フォーヴィズムと称された時期を探ります。「『印象派』の場合と同じように、『フォーヴィズム』という名前も、批評家の悪口がもとになって登場してきた。しかし、その仲間は、印象派やナビ派のように、はっきりときまったグループを形成していたわけではない。1905年のサロン・ドートンヌは、カタログによれば参加した画家の数は397人、出品作品1625点という大がかりなものであったが、たまたま主催者側が、それらの作品のうち、似たような傾向の若い画家たちを会場のグラン=パレの二つの部屋に集めたために、彼らが『野獣』の仲間としてクローズアップされるようになったのである。」マティスについて。「これらきわめて多様な個性の持主であるフォーヴの画家たちのうち、グループのなかで代表的な存在であり、歴史的にも最も重要な役割を果たしたのは、アンリ・マティス(1869ー1954)であった。彼は、仲間のうちで最年長であったばかりでなく、造形表現上のその大胆な試みによって他のフォーヴたちに大きな影響を与えた。しかし、それでいながら、彼は、『野獣』という呼び名から連想されるような奔放な激情の画家ではなく、むしろ明晰な知性の画家であった。たしかに彼は革命家であったが、醒めた革命家であった。そして、革命家としての彼の情熱は、古い秩序を破壊することよりも、新しい秩序を創り出すことの方に向けられた。その点で、マティスは、同時代のカンディンスキーに似ていると言えるかもしれない。」今回はここまでにします。