2025.08.13
「芸術家列伝2」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「アンドレーア・デル・サルト」について、2つに分けて気に留まった箇所をピックアップいたします。今回は後半です。「アンドレーアの死は彼の町フィレンツェや絵画にとって非常なる大損失であった。それというのも彼が生きた42歳という年齢まで彼は常に次から次へと作品ごとに良くなっていったから、もしあれ以上に長生きしたらそれだけ必ずや芸術の面でも上達したに相違ない。それというのも人間芸術の困難な道を少しずつ堅実確実に進む方が、一度に天性や天分に無理をしてなにかしようとするより好ましいからである。またアンドレーアがローマに行ってラファエㇽロやミケランジェロの作品を見、あわせて古代の廃墟や彫像を見物した時、もしそこに居を定めていたなら、アンドレーアが物語絵の情景のコンポジションにおける様式を豊かにしたであろうこと、またいつかは彼の人物像にもっと力ともっと洗練を加えたであろうことも疑いない。そうしたことはローマに暫くの間滞在してそうしたことを仔細に観察し実際にやってみた人でなければ完全には会得できないことなのである。アンドレーアは天性デッサンにおける甘美で優雅な様式に恵まれ、たいへん生き生きとした彩色を手軽に描く天分に恵まれていた。そしてそれはフレスコで仕事をする際も同じであった。彼がもしローマに居を定めていたなら、当代のあらゆる画工たちを凌駕したであろうことは疑いないと思われるのである。しかし何人かの人々は次のように考えている。アンドレーアがそのローマの都であり余るほど多い古代や近代の彫刻や絵画の作品を見たこと、またそこでラファエㇽロの数多くの若い弟子たちやその他の人々が思いきったデッサンを描き、自信を持ってたゆまず仕事をしているのを見たことが原因で、アンドレーアはもともと臆病な性質だから、とてもこの連中を凌駕することはできないと思いこみ、それで意気を沮喪してローマに滞留しなかったのだ、というのである。それで臆病風にとりつかれ、自信を喪失して、フィレンツェへ帰る方がいいと決心した。そこへ戻って来てから自分がローマで見たことを次第次第に熟考し、非常に得るところがあったので、アンドレーアの作品は非常に高く評価された。そして存命中よりも死後になってさらに模倣されるにいたったが、これはなかなかの事である。」今回はここまでにします。