2026.03.15
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日の内容は、制作されたものを美術作品として認知するという現代では当たり前になっていることを改めて振り返ってみようと思います。古来、美術としての概念がなかった時代には、例えば原始時代は視覚的作用によって獲物を捕獲する記録を刻んだり、中世ではその時代の戦意を昂揚させる目的として、またその国の勇ましい歴史を鼓舞する手段として、壁や建物に造形物を浮彫りしたのが彫刻としての作為の始まりではないかと考えます。そうした装飾物を建築等から独立させて、観賞の対象としたのが現代に通用する美術作品の誕生だったのだろうと思いますが、そのために絵画には額装が必要になり、彫刻は土台を必要としました。場所も公共空間や教会から美術館や画廊へ移り、テーマも宗教以外のさまざまな内容が登場してきました。現代では、近代が得た美術の定番を翻らせることになり、額装や土台を必要としなくなり、周囲の空間そのものを造形化する方向に進んでいます。私の陶彫による集合彫刻も土台を必要としません。展示する場を考えながら作品を点在させて、その空間を演出していくのです。ただし、壁に掛ける作品は木枠を付けることで造形空間の範囲を決めていく予定です。実はその作品でも当初は範囲を限定することは止めようかとも思いました。そうしなかったのは、床置きする陶彫による集合彫刻と、壁に掛ける作品の主張する内容が真逆にあると考えたからです。床置きの作品は外へ広がる空間を考えていて、壁に掛ける作品は内なる空間に向っていくことを想定していたのでした。内に籠るという表現は、範囲を限定した方が効果的ではないかとも判断しました。床置きの立体作品より壁に掛ける作品の方が平面思考が強く、物質的な要素はあっても、色彩を塗っていく行為は内面性を表現するのに適しているのではないかと私の勝手な解釈に頼りました。それがどこまで効果があるのか分かりませんが、今夏の個展で発表する予定なので、観賞者も含めてさまざまな人の判断を仰ぎたいと思っています。