Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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新聞記事より「現実は虚構を藉りる」
今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「想像を知覚から取り去ることはできない。大森荘蔵」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「『現実は虚構を藉りて表現される以外にない』。そう考える哲学者が最初にあげるのは、物の知覚の中でともに働きだしている虚構の視線だ。例えば机は、眼に映る見え姿だけでなく、ここからは見えない側面や背面、ときには内部への想像をも含めてはじめて机として了承される。『虚に照されて実がはじめて実となる』のだと。論文『三つの比喩』(『物と心』所収)から。」私は物の存在を、その存在だけでなく、そこに纏わる要素(虚構)とともに存在として認識する考え方が大変面白いと感じました。確かに机を見れば、日常使っている常識としてこれは机だと認識できます。机には想像力を膨らませるものがあり、それらを全てひっくるめて、これは自分が求める(あるいは不要とする)机だと感じることができるからです。ありとあらゆるものはそうした要素(虚構)がついてきて、私たちはその用途によって日常的な安心を得るのだろうと思いますが、私が問いかけたいのは付随する要素(虚構)がはっきりしない場合です。というのは、私が作っている抽象傾向の彫刻は、その虚構が薄いのではないかと思うからです。人の常識の範疇を超える造形は、人からどのように見られているのだろうかと考えざるを得ません。これは彫刻だとギャラリーに来られる方々は、これはそういうものだと認識するものの、普段からこうしたものを見慣れていないので、想像力を膨らませても日常的な安心を得られず、存在としての物質は虚構なき存在そのものなのです。ギャラリーに私がいても、これはいったい何ですか、と鑑賞に来られた方に聞かれる場合があります。アートであっても日常の安心が得られない世界、逆に言えば存在論としても、こんなに面白いものはないのではないかと思っているところです。