2025.10.22
「廃墟論」(クリストファー・ウッドワード著 森夏樹訳 青土社)の7つ目の章は「大まじめに作られた模造廃墟」という題がついています。「偽古典的な模造廃墟を建てたいとする情熱がもっとも強かったのはフランスやドイツ、それにイギリスだったが、それを最初に実行したのはイタリアだった。おそらくそれは驚くほど、ふんだんに本物の材料を利用したものだったろう。記録に残っているもので、もっとも早い時期に作られたのは、1530年、建築家ジローラモ・ジェンガによってデザインされたウルビーノ公の公園の二階家だ。公園はペーザロ(イタリア中部マルケ州の都市)にあったが、建物はすでにない。現存しているものでもっとも初期の人工廃墟といえば、ジャン・ロレンツォ・ベルリーニによって作られたバルベリーニ宮殿の橋ということになる。橋はローマにある。宮殿の控えの間と庭との間に堀があり、その堀にふたつのアーチが架かっている。これが人工の廃墟。」次に私が着目したのはルーヴル美術館をテーマにした絵画です。「ここに一枚の絵がある。『廃墟と化したルーヴルのグランド・ギャラリー想像図』。この有名な絵がわずかに彼の心の中の混乱した様子を伝えてくれる。1796年のサロンにロベールは、セーヌの岸に平行して走っているルーヴルのグランド・ギャラリー改造を示す絵(『グランド・ギャラリーの改造案』)を出品した。そして同時に対をなす形で、彼はもう一枚『廃墟のルーヴル』を出した。それはあきらかに、どこまでもはてしなく続く画廊で、屋根はなく空が見えている。円天井から垂れ下がっていた装飾(ペンダント)を見ると、この絵が廃墟を描いたものであることがはっきりとわかる。画家はアポロン像を描いているが、その足元では、農夫たちが薪代わりに絵の額縁を燃やしている。ここで注目すべきは、この絵を構成するすべてのディテイㇽー断片と化した円天井、植物、農夫と廃墟を共有する画家といった要素がローマの風景から移し替えられていることだ。それは何のためかといえば、未来のパリの風景を表わすためだった。散らかった断片の中には傑作と目される美術作品が三つ見える。それもまったく無傷のままである。ベルベデーレのアポロン像(ヴァチカン宮殿にある石像。19世紀に古典美の典型とされた)。その足元にあるのがラファエロの胸像。それにミケランジェロの『奴隷』像である。ロベールにとっては、混乱をきわめた時代の中で、ただひとつ芸術品の永遠性だけが確実なものに思えたのだろう。」今回はここまでにします。