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米アカデミー賞の「バードマン」雑感
先日、久しぶりに家内と橫浜のミニシアターに出かけました。今年のアカデミー賞4部門に輝いた「バ-ドマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観てきました。特撮映画で一躍有名になった俳優が、起死回生を願って演劇に賭ける物語で、実際にバッドマンで名を成したマイケル・キートンが主役を演じていました。途轍もなく長いロング・ショットで劇場の内外を通じて隅々まで役者を追いかける撮影は、臨場感があって人の目線で事物を捉える手法になっていました。これはフィクションでありながら不思議なリアル感と即物感があって、この類い希なる説得力がアカデミー賞受賞に結びついたのかなぁと思いました。映画の中で2つの劇中作品が登場します。ひとつは架空の特撮映画バードマンで、主人公の心の声として、あるいは栄光を貪っていた頃の主人公の幻視として現れるのです。もう一つは主人公が復活を賭けた「愛について語るときに我々の語ること」(レイモンド・カーヴァー著)の芝居の一部です。これはプレビュー公演から波瀾万丈になり、有名批評家からは毒舌を浴びせられ、一時はどうなるものかと思いきや、芝居を超えた主人公の鬼気迫る演技が奇跡を生むことになるのです。薬物依存症の娘も主人公の付き人として働いていて、その壊れた親子関係も徐々に回復していく状況も描かれています。音響はドラムだけで雄弁に語り、楽屋の狭い通路をカメラが追いかけるシーンで効果的に使われていました。現在アメリカの病んだ部分や再起に賭けていくプラス思考の人生を、この映画は余すところなく語っていると思いました。