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平塚の「画家の詩、詩人の絵」展
先日、平塚市美術館で開催している「画家の詩、詩人の絵」展に行ってきました。詩魂がなければ造形作品は生まれないと考えている自分にとって、とても好都合な展覧会で興味津々でした。自分が学生の頃、現代美術は文学性を排除していく傾向がありました。文学性は情緒でありネガティブなものとの位置づけがあって、造形美術は開かれたドライな表現が時代を彩るものとされていました。自分も人体塑造が文学性と結びつくことに抵抗を感じて、もっと堅牢な表現に向かうべきと考えていました。それは当時の自分がまだ若年ゆえに時代の表層だけを追っていたわけで、現代美術の中には謎のような思索を秘めたものがあり、存在の意味を解き明かすと同時に、作品のもつ詩魂に触れて、ついに美術と文学の関係を考えるようになったのでした。図録に興味深い対談があったので引用します。信濃デッサン館長窪島誠一郎氏と世田谷美術館長酒井忠康氏の対談です。「僕が絵画の文学性というときは、決してポジティブな意味ではいっていない。ネガティブに考えたい。ここが、本流になったら気持ち悪い。」(酒井氏)「全人的な人間的なところから出発する営みであって、絵を描くのであれ詩を描くのであれ、ひとつの卵から生まれる行為なのです。たまに、作為的、恣意的に画家自身が詩人と画家を自分で住み分けるケースも見られますが。」(窪島氏)「絵はつかみどころがあるものをつかんでしまったあとの仕事で、詩はつかみどころがなく最後までつかめなかった仕事だから、それを見る人は心のなかでシェイクして融合させる。」(窪島氏)「僕は判定したいね、詩の方が上、絵が下だよ。」(酒井氏)対談を掻い摘んで引用すると何のことやらわからなくなりますが、自分が成る程と思ったところだけ取り上げました。詩については何回かNOTE(ブログ)で取り上げていますが、稿を改めて再考する機会を持ちたいと思います。