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映画「火の山のマリア」雑感
中南米グアテマラの高地に暮らす家族を描いた「火の山のマリア」は、暫く東京の岩波ホールで上映されていて、それで知り得た映画でした。火山近くの肥沃な土壌で農業を営むのは、日本と似た環境のようですが、土地は借地で収穫が少なければ農園主に追い出されてしまう貧困の状況があって、生活の厳しさが物語につき纏っていました。両親と一緒に暮らす17歳の少女マリアが主人公で、妻に先立たれた農園主のもとに嫁ぐ手筈になっていたところ、コーヒー農園で働く若者に憧れ、一夜の関係を持ってしまいます。若者はマリアを残してアメリカに旅立ち、マリアは妊娠してしまいます。両親や農園主にそれが発覚し、一家は引っ越しを余儀なくされますが、そんな折、マリアが畑で蛇に噛まれ、瀕死状態のマリアは都会の病院に担ぎ込まれます。スペイン語が出来ない一家は農園主の通訳に頼らざるを得ない中で、身籠もった子を養子に出す契約書に拇印を押してしまいます。母親の強烈な主張は通らず、子は亡くなったと虚言され、落胆するマリア。葬式の後で、それが嘘だったことを知り、どうにもならない社会の機構の中でもがき苦しみ、結局マリアは農園主のもとに嫁ぐことになるのです。映画全体の印象では、朴訥なマリアと雄弁な母親の関係が縦軸となり、横軸には社会に取り残された少数民族の弱者としての宿命を感じました。古代のマヤ文明を築いた末裔は、現代の貧困を背負い、電気もガスも水道もない村で暮らしています。矛盾をはらんだ文明の強者の発想が、今も世界を歪めているのかもしれません。普段着にしている民族衣装が美しく、火山灰の暗い色彩の中で映えていました。