Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

汐留の「表現への情熱」展
先日、東京汐留にあるパナソニック汐留ミュージアムに「表現への情熱」展に行ってきました。副題を「カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち」と称していて、カンディンスキーという画家の名前に反応して、これは見に行かなくてはならないと思ったのでした。私はドイツで活躍したカンディンスキーとフランスの宗教画家ルオーの接点が分からなかったのですが、1907年にモロー美術館で働いていたルオーが、そこでカンディンスキーと会っている記録があるのです。副題にある通り、色彩の冒険や実験を繰り返していた2人の画家が、色彩を通して共感していたと想像をすれば素晴らしいことだぁと思っています。図録の中で、年代順にカンディンスキーとマティスとルオーを並べた図表があって注目しました。その解説にこんな一文がありました。「『抽象絵画』誕生前後のカンディンスキーとルオーには一見共通点がなさそうだが、しかし二人には色彩や形態や主題の違いを超え、マティスには感じられなかった、絵画の奥に潜む宗教的とでも呼べるような感情、カンディンスキーのいう『内的必然性』のようなものが感じられる。」(後藤新治著)こうした共通部分の浮き彫りは、今回の展覧会の意図するところで、大変興味深いテーマと言えます。ただ、2大巨匠を検討する上で、実は私は今もルオーが理解できずにいて、ルオーの代表作を見てもピンとこないことを白状しなければなりません。ルオーらしさが表出する文章を図録から拾っていくと「画家の内から湧き出る感情や憤りを瞬時に写し取るかのように、素早く荒々しい。また、色彩も反自然主義的な傾向を強め、鮮烈な赤、濃淡の差の激しい多様な青そして沈むような黒が時に画面の主役を演じる。形態のデフォルメも甚だしくなり、美術学校時代のような緻密な対象の再現描写は跡形もなく消え失せている。~略~罪を赦し創造主や自然に対する愛を賛美する画家の最晩年の境地は、黄色や赤、オレンジを中心とする光り輝く色彩と、彫刻のように塗り重ねた絵具の豊かなマティエールに支えられて高らかに歌い上げられるのである。」(萩原敦子著)とありました。主題や理論は分かっていても、今だに心に響いてこない作品を前に佇む私は、いずれルオーの魅力を感受できる時が来るのでしょうか。ルオーが理解できれば、カンディンスキーを筆頭とするドイツ表現派との検討や思索が、私なりに生まれてくるのではないかと思った次第です。