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週末 梱包&往年の歌姫のコンサート
週末になって朝から工房に籠って梱包作業をやっていました。「発掘~角景~」のテーブルや柱の梱包が終わり、ウィークディの連夜やっていた木箱作りに着手しました。そろそろ木箱が揃ってきたので、明日くらいから木箱に陶彫部品を収めてみようかなと思っています。あとどのくらい木箱が必要なのか確かめたいと思っているのです。午後2時になって梱包作業を中断しました。夕方、歌手のコンサートを予約していたので、横須賀芸術劇場へ向いました。往年の歌姫と呼んでいいものか、彼女は私が子どもの頃から憧れていた歌手の一人でした。公演は「加藤登紀子コンサート 花はどこへ行った」。家内は胡弓の演奏会があったので、コンサートには私一人で出かけました。歌手加藤登紀子は、当時流行していたアイドルとは一線を画していて、数々の歌の意味合いがわかったのは、私が大学生になってからでした。政治や人権を主題にしたものや、歴史上の背景を纏った歌詞が、若かった私を刺激しました。私より世代が一回り上の人たちは大学紛争を体験し、美術界でもダダイズムが席巻していたのでした。時代に遅れてやってきた私は、アングラ劇に熱中したり、ミニシアターに通いながら、閉塞感のある社会に中途半端に嘆く日々を送っていました。和製フォークソングも自分を吐露する上で共感を覚えた媒体でした。歌手加藤登紀子はそんな捉えの中で存在感を放っていました。私は大学を終え、ヨーロッパの美術学校に出かけました。そこで出会った東欧の共産主義体制に生きる人々や、自由を求めた学生運動とその弾圧を知って、自分の成育歴にはなかった空気を感じたのでした。加藤登紀子の歌には、あの頃自分が肌で感じたヨーロッパの匂いが漂っています。彼女が歌っているロシア民謡は、私がルーマニアの片田舎から鉄条網越しに垣間見たウクライナの風景を思い出すのです。日本に育った私にとって身近ではなかったはずの環境、5年間の滞欧生活によって脳裏にすり込まれた冷戦時代の暗い記憶、それらが音楽によって呼び覚まされるようです。現在は情緒として懐かしくもありますが、20代の当時は暗中模索の中で生きていました。コンサートの詳しい感想は後日改めます。