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上野の「快慶・定慶のみほとけ」展
東京上野にある東京国立博物館平成館で開催されている「快慶・定慶のみほとけ」展は、京都の大報恩寺(千本釈迦堂)に所蔵されている慶派の仏像群によって構成された圧巻な展示内容になっていました。鎌倉時代の慶派の写実的な仏像は、美術作品として鑑賞しても大変面白く、彫刻的な形態の捉えに刺激を受けます。毎年、京都に出張している私も大報恩寺には行ったことがなく、年に数回公開する秘仏のため、今まで見る機会がなかったのでした。図録によると「大報恩寺が建てられた1220年代は、新しい時代の表現を切り開いた巨匠、運慶と快慶が相次いで表舞台を去り、次代の湛慶、行快、そして定慶が活躍し始めた時代だった。運慶一門に属していたとみられる定慶は、運慶のずば抜けた立体表現や空間把握能力をよく学び、自分のものとした。~略~快慶の弟子行快は、師匠が生み出した、整えられた仏像の美をよく理解し、それを踏襲しようとした。」とありました。釈迦の十人の偉大な弟子を彫った十大弟子立像は、それぞれの相貌が個性的で写実の極みに達していると感じました。十軀のうち運慶系統と快慶一門の違いがあって私は興味を持ちました。図録より引用します。「(運慶系統の)四軀の頭部には大胆にくぼみやゆがみなどがあり、左右対称でない人体のなまなましさが表現されている。これに対し、快慶一門の六軀の頭部はどちらかといえば球形に単純化されていて、前者とは表現の方向性が異なっている。」展示はさらに六観音菩薩像があって、その美しさに圧倒されました。私が見た時は光背が外されていて、菩薩像の背中まで鑑賞できました。六軀とも背中までしっかり作り込みがしてあって、その立ち姿に惚れ惚れしました。素材について図録にあった一文を引用します。「六観音菩薩像はいずれも針葉樹のカヤが用いられており、表面は彩色や漆箔をせず、木肌を露出したままとする。~略~日本では白檀の代用品とみなされたカヤを用いて多くの木彫像(代用材での檀像)が造られるようになり、平安時代以降の一木彫像の流行につながった。」最後に大報恩寺の尊像構成を書いた図録の一文をもってまとめにしたいと思います。「大報恩寺の尊像構成は、『法華経』序品を典拠にすると考えるのが、もっとも穏当だろう。『法華経』如来寿量品には、釈迦は常に霊鷲山におり、永遠に生きて説法し続けると説かれている。末法の世の中で、義空(大報恩寺創建者)は、釈迦が永遠に存在するという釈迦常住の地、霊鷲山をこの地に生み出そうと考えたのだった。」(引用は全て皿井舞著)本展に並んだ仏像群は、祈りの対象としてではなく、彫刻作品として鑑賞し、その形態や素材に大変な魅力を感じました。私はやはり慶派が大好きで、その姿形に時を忘れるほど佇んでしまうのです。