Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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上野の「フェルメール展」
事前予約が必要な美術展に行ったのは、私は初めてだったかもしれません。それほど上野の森美術館で開催されている「フェルメール展」には国際的に見ても貴重な作品が多数来日していると言っても過言ではありません。鑑賞したのは先月でしたが、改めて詳しい感想を述べます。17世紀ネーデルランド(オランダ)の画家ヨハネス・フェルメールは全世界で確認されている絵画作品が37点、そのうち10点(実際は9点)が日本で見られるのは今後とも不可能なことかもしれません。展覧会出口付近に設置された部屋がフェルメールだけが展示されているスペシャルルームでした。フェルメールは有名な絵画ばかりなので作品は図版によって知っていましたが、私は実物を見るのは初めてで、まずそのサイズの小ささに驚きました。初期の大きめな宗教画が1点、残りは風俗画で女性が登場するものばかりでした。その女性の仕草にドラマを感じさせる情景があり、1点ずつ立ち止まって空想してしまうこと頻り、当時の人々の営みが感じられて、鑑賞者たちは時代を洞察しながらの会話を楽しんでいました。図録から引用いたします。「フェルメールは、歴史画のみならず同時代の生活においても道徳的な関心事が重要であることを理解していて、注意深く構想された風俗画においても、私たちが日常生活の中で分かちあう価値観や関心事を反映した人物像の時を超越したイメージをつくりだすことによって、それを伝えようとしたのである。」(アーサー・K・ウィーロックJr.著)たとえば若い女性を誘惑しようとする男性のいる室内に、節制を意味するステンドグラスの絵柄がある作品がそれに当たります。こうした作品はどんな環境で描かれたのか、これも図録より拾ってみます。「わずか43年の生涯を通じてフェルメールは、アムステルダムの南西48kmに位置し、およそ2万人が住む中規模の都市デルフトで制作活動を行った。~略~デルフトの町とその周辺環境は、フェルメールと妻カタリーナ・ボルネスや彼らの多くの子どもたちが必要とするものすべて、たとえば家や仕事、顧客や収入などを与えてくれた。一家が暮らしていたのはカタリーナの裕福な母親の近所であった。彼女は、娘とその義理の息子、たくさんの孫たちに対して、十分な額の資金援助をたびたび行っていた。~略~彼には当時、デルフト近郊に住む人々から成るごく小さな顧客のグループが付いていた。画家は、限られた愛好者の集団のために特別に作品を制作していたと思われる。」(ピーテル・ルーロフス著)フェルメールの個別作品に関しては別稿を起こします。