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平塚の「彫刻とデッサン展」
先日、平塚市美術館で開催中の「彫刻とデッサン展」を見てきました。「空間に線を引く」と題され、著名な日本人彫刻家が集められた本展は、私にとって重要な展覧会であり、必ず見に行こうと決めていたのでした。まだ自分は彫刻を専門にしようと考えていなかった高校時代に、美術科教諭から美術準備室でデッサンの手ほどきを受け、美術の専門家への第一歩を踏み出したのでしたが、目の前の対象を写し取るデッサンはなかなか難しく、それまで楽しかったはずの美術が、一気に困難克服のための修行になった気がしました。当時は木炭紙に木炭で石膏像を描いていましたが、高校の帰りがけに予備校に通いだすと、描写用具が木炭から鉛筆に変わりました。大学で彫刻を学び始めた頃に、H・ムアの防空壕に避難した人々を描いたデッサンや、A・ジャコメッティの針金のようになった人物デッサンを知って衝撃を受けました。画家の描くデッサンと彫刻家のそれとは何かか違うと私は感じていて、まさに「空間に線を引く」デッサンに関心が移っていきました。図録の中にロダンにおける彫刻の捉えが出てきます。「視覚で捉えることのできる表面ではなく、その内側の動勢にこそ彫刻の本質があるとしたロダンの言葉は、それまでの視覚優位であった彫刻論とは明らかに異なるものであった。」というもので、さらにドイツ人哲学者J・G・ヘルダーによるこんな言葉が続きます。「絵画と彫刻の違いを、『彫刻は真実であり、絵画は夢である。彫刻はまったく呈示する表現であり、絵画は物語る魔法である』」というヘルダーによる触覚論は、視覚を五感の上位におく当時の美術の考え方に異を唱えたものだったようです。そこで実際のデッサンを基に、こんな一文が綴ってありました。「無数の線の集積から確かに実在する存在が立ち上がり、それを取りまく不可視の空間が現前としている。~略~一本々々の線が作者の手となり対象を触知し、手探りで平面上に現前させる。そこには容易に気づき得ない対象と空間構造の緊密な関係が生まれている。」(引用は全て土方明司著)自分が注目する個々の彫刻家の作品には後日改めて触れたいと思います。