Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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G・クリムトからE・シーレまで
国立新美術館で開催中の「ウィーン・モダン」展には、「クリムト、シーレ 世紀末への道」という副題がつけられています。オーストリアの首都であるウィーンの都市としての変遷を展覧会前半で取り上げていて、後半は専ら世紀末から20世紀初頭に興ったウィーン分離派やウィーン工房の作品が中心になっていました。図録には「1897年、グスタフ・クリムトに率いられた若い画家たちのグループは『時代にはその芸術を、芸術には自由を』という理念の下に、オーストリア造形芸術家協会を結成した。いわゆるウィーン分離派である。」とありました。クリムトの分離派以降の作品はよく知られていますが、私が注目したのは素描を含む初期作品で、古典的な寓意画を描いていたクリムトは「アレゴリー:新連作」あたりからクリムトらしさが出てきたように感じました。時を同じくして登場したウィーン工房は、図録によると「1903年、工芸美術学校出身の芸術家たちを主要メンバーとして、ウィーン工房が設立された。彼らは[アーツ・アンド・クラフツ運動に代表される]英国のやり方を手本にしながら、趣味が良く上品な日用品の生産を目指した。創設されるや否や、ウィーン工房はユニークで印象的なウィーン・スタイルを発展させ、国際的なセンセーションを巻き起こしたのだった。」とありました。機能性と美観を兼ね備えた日用品やポスター等に、私は改めて感銘を受けました。展覧会場に多くの日用品が並ぶ光景は、日常生活の中に新しい美意識が入り込んだ事例が示されていました。さて、次に控えていたのはエゴン・シーレの絵画やデッサンでした。ウィーンを総括する中でシーレを見ると、明らかにシーレの特異な世界観は、現代に近いものとして認識出来ました。次世代の、つまり表現主義的な作風の上に彷徨う悲劇性は、今日まで続いている芸術家のテーマとも言えます。度々彼のテーマとなっている死とエロスも、芸術家本人の自己告発を視覚化する試みであって、それは現代に通じるものだろうと感じました。シーレは28歳で夭折した画家でしたが、短い人生の中で強烈で斬新な足跡を残したためにオーストリア美術史に刻まれる芸術家になったのでした。