Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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週末 創作活動の動機を問う
今日は朝から工房に篭り、制作三昧の一日を過ごしました。昨日作っておいたタタラを使って、屏風に接合する陶彫部品2点を成形しました。昼ごろに近隣のスポーツ施設に行って水泳をしてきましたが、それ以外はずっと陶土と格闘していました。自分にとっては幸福な時間と言えます。集中力が高まっている間は何も考えませんが、暫し休憩をした時には昨晩観た映画「シュヴァルの理想宮」を思い出していました。不器用で頑固一徹な郵便配達員が生まれてきた娘のために、たった一人で宮殿を立てる実話でしたが、愛娘の喜ぶ顔が見たいという動機で、とんでもないことを始めたのでした。やがて娘を失い、最後まで理解を示してくれた妻をも失いますが、彼はそれでも宮殿作りを止めようとしませんでした。33年間、彼の後半生は宮殿作りに費やした人生だったのです。彼にとって宮殿作りとは何だったのか、彼の死後、理想宮はフランスの文化財に指定されましたが、そんな名誉が欲しくて彼が作り続けていたとは思えず、映画では童心のように只管作っていた印象が残りました。制作動機が娘に捧げるためであれば、とっくに制作を放棄していたはずです。それでは何故、どんな理由で人は創作活動を続けていくのでしょうか。自己満足のため?それも考えられるでしょう。自己表現が作品としてカタチを成す以上、必ず見てくれる人がいるという想定があり、自分のことを人が理解し、共感してくれることを期待するものと私は思っています。私の場合は一番身近な批評家は家内です。工房に出入りしているスタッフたちも協力者であり、私を常に観察している人たちです。一年1回個展を企画していただいているギャラリーせいほうの田中さんや個展を訪れてくれる人たちにも私は支えられています。それが動機なのかと問えば、本当にそうなのか、自分には分かりません。分かっていることは制作している時間に幸福を感じることです。地獄の苦しみを味わおうが、有頂天になろうが、陶土と格闘している自分は何かを得たいと足掻いています。その途中経過が不安定で不満足であっても、それが愛おしく感じられるのが創作活動の実感です。どんな理由で人は創作活動を続けていくのか、動機となるものは分かりませんが、魂の在り処が分からないのと同じで、不可思議な魔物に惹かれていくとしか答えようがないと思っています。