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イサム・ノグチの両親について
先日から「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)を読み始めています。本書は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、最初の章は両親について書かれていました。日米混血として誕生したイサム・ノグチ。その両親の事情は微妙な関係だったようです。結果論になりますが、イサム・ノグチが世界的な芸術家になったおかげで、両親も脚光を浴びたと言えます。父である野口米次郎は、アメリカでそこそこの活躍はあったようですが、日本では知られた詩人ではありませんでした。母のレオニー・ギルモアはノグチを育て上げた功績だけで、自身の文学は認められませんでした。文中からまず母についての文章を拾います。「レオニー・ギルモアは、並はずれて因襲にとらわれない独立独歩の女性だった。~略~写真では眼鏡をかけ、繊細で女教師風、いかにもアイルランド人らしいが、それが好もしい魅力になっている。」米次郎がアメリカで詩集を出すため翻訳を引き受けたのが、2人の馴れ初めでした。「米次郎のぎこちない英語にもかかわらず、詩の愛好家レオニーは詩の創造に関わるのがうれしかった。米次郎の詩はラプソディ風で陳腐になりがちだったが、レオニーがそのロマンティシズムに惹かれていたのは明らかだ。」次に米次郎についての文章を拾います。「長期にわたって外の世界から孤立していた日本は西欧に追いつくことを希求し、米次郎が慶應義塾に入学したとき、カリキュラムは西欧文化に重きをおいていた。米次郎は英語を学び、当時の多くの学生同様、渡米を夢見た。」アメリカにわたった米次郎は現地の小学校に通い、掃除、皿洗い、給仕などをやっていたようです。また文学者とも付き合い、その中で同性愛者だった詩人ストッダードとの愛情関係も取り上げられていました。米次郎はレオニーとはビジネスライクより一歩進んで親しい関係になったものの、彼にはエセル・アームズという恋人がいたようです。レオニーは米次郎の子を妊娠しましたが、エセルとの関係解消とはならず、レオニーは相当苦しんだことが伺えます。こうした事情を踏まえると、イサム・ノグチは焦がれて生まれた子ではなかったことが分かりました。帰国後の米次郎について、こんなことが書かれていました。「(米次郎は)日本語で書き、出版するのは不可能だと思い知る。日本人は、ヨネ・ノグチはその作品においてもあまりに西欧化されたとみなした。『どうみても異人らしく、眼玉の色の青い所など、なかなか日本人とは思われない』と有名な詩人の荻原朔太郎は書いた。何年もあと、米次郎はひとつの詩のなかで認めた。『僕は日本語にも英語にも自信が無い/云はば僕は二重国籍者だ』。同じようにイサム・ノグチは言うだろう。自分はどこにも所属しない、自分は世界の市民なのだ、と。」