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東京駅の「きたれ、バウハウス」展
先日、東京駅にあるステーション・ギャラリーで開催中の「きたれ、バウハウス」展に行ってきました。バウハウスとはドイツ語で「建築の館」という意味です。1919年に建築家ヴァルター・グロピウスによって設立された造形学校で、旧来の芸術のアカデミーとは一線を画する教育方針を採っていました。その革新的な学校もナチスの弾圧を受けて1933年に閉鎖に追い込まれました。活動したのは僅か14年間でしたが、アートとデザインの領域に大きな足跡を残しています。今となっては現代美術を牽引した魅力的な教授陣、残された講義メモや学生の作品に、現在も続くデザイン教育の源泉を見る思いがしたのは私だけではないはずです。図録には多くの論考が寄せられて、バウハウスに関する多方面にわたる研究が掲載されていました。その中でまず「バウハウス宣言」の一部を引用いたします。「建築・彫刻そして絵画のすべてが一つの形態のうちに存在するようになる未来の新しい建設(Bau)を、われらもろともに意欲し、考えだし、創出しようではないか。」(V・グロピウス)とあるようにバウハウスは全造形的領域を建設(建築)に統合する理念を打ち出していました。初期のバウハウスで教壇に立ったヨハネス・イッテンは、私の学生時代に彼の著作である「色彩論」が大学の講義で必要になり、当時購入した書籍が今も自宅の書棚に眠っています。「グロピウスがバウハウスに招聘したマイスターのうち、美術教育の経験者はイッテンのみだった。ウィーンで既に成果をあげていた彼は生徒を伴ってヴァイマールに移ってきたのだ。最初期のバウハウスでのイッテンは、教師が揃うまで予備課程および多くの工房を担当し、大きな影響力を持っていた。イッテンは予備課程の目的として次の3点を挙げた。1.先入観や既成概念から解き放って学生の想像力を解放させること。2.さまざまな材料を扱い、次の工房教育における専攻の選択を容易にすること。3.形態や色彩に関する基礎的な知識を身につけること。~略~1921年に着任したパウル・クレー、翌1922年に着任したヴァシリー・カンディンスキーが予備課程を補う形で形態・色彩の授業を行い、オスカー・シュレンマーのヌードデッサンの授業も必須とされた。」(杣田佳穂著)バウハウスの新しさはまさにこうした予備課程(基礎課程)にあったのではないかと思います。ここでは図録の論考の一部しか紹介できませんが、作品と理念を同時に見ていくことがバウハウスを正確に捉えることができると私は思っています。