Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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平塚の「柳原義達展」
コロナ渦の影響で、最近は展覧会が閉幕するまで行こうかどうしようか迷っている傾向があり、また急遽思い立って展覧会に出かけるため、僅かな日程を残した状態でNOTE(ブログ)にアップすることが少なくありません。今日出かけた平塚市美術館も例外ではなく、戦後日本の彫刻を牽引した彫刻家柳原義達の大掛かりな展覧会を漸く見ることができたと実感しています。平塚市美術館では併せて「川瀬巴水展」を開催しており、こちらの方は展覧会閉幕後に詳しい感想を述べさせていただくことをお許し願えればと思っています。彫刻家柳原義達は、私が間接的に知っていた作家で、そこに弟子入りしていた石彫家中島修さんを通じて話を伺う機会があったのでした。師匠も弟子も故人となってしまった今は、真意を確かめようもありませんが、オーストリア在住の中島さんに師匠が亡くなった折にドナウ河に散骨をお願いしたエピソードがあります。それほど師弟関係が密接だったことが分かりますが、私にも他の巨匠に比べれば身近な彫刻家だった気がしています。さて、柳原ワールドに久しぶりに接して、全作品を通じて生命を謳いあげた表現に写実を超えた深い造形的思索を感じました。柳原ワールドは大きく分けて2つのシリーズがあります。人体塑像を中心とした「犬の唄」シリーズと、鴉や鳩をモティーフにした「道標」シリーズです。どちらも独特な量感把握が見られ、人間も鳥も二本の足で立つバランスを生命の証として存在を示しているように感じられました。まるで紙に描写用具で塑造しているようなデッサンにも惹きつけられました。図録の代わりとして購入した著書にこんな一文がありました。「戦後まもなく私は、私の主題となった『犬の唄』を作った。普遍戦争に敗北したフランス人の反省と同時にレジスタンスの精神は犬の姿をかりて、柔軟・抵抗という矛盾をあるときはシャンソンに、あるときは舞台に表現し、やるせない感情としてそれは市民の心をゆさぶった。画家ドガの、舞台でうたうシャンソン娘の犬の唄の絵は、同様にその心をうたっているのだろう。」次に登場してくるのが「道標」です。「主に烏をあしらっている。田舎に残っている道しるべ、それは道祖神かも知れない、火の見櫓かもしれない、お地蔵さまであってもよい、そこに烏のあのとぼけたような、たくましいような、孤独かと思えば人里にすむ、そんな烏が飛んで来て頭にとまり、次の目標に飛んでいく、あのありふれた風景を私は『道標』という主題として選んだ。烏は私かもしれない、少なくとも私の願う庶民的人間像である。」その著書に関しては別の稿を起こしたいと思います。