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「木彫浮彫」について
「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第4章 陶製彫刻と木彫浮彫(1889年と1890年)」の「6 木彫浮彫」をまとめます。この章では2点の作品が登場します。ひとつが「愛せよ、さらば幸いならん」、もうひとつが「神秘的なれ」です。まず、「愛せよ、さらば幸いならん」の論考から引用します。「1891年、二人の批評家が同様の文脈においてゴーギャンのパネルを捉えることになる。象徴主義者アルベール・オーリエは、『情欲の全て、肉体と思考の闘いの全て、性的快楽の苦しみの全てがのたうち回り、いわば歯ぎしりをしている』と書き、ロジェ・マルクスはそこに『男性的で荒々しい切り溝によって表された顔の上の力強い苦痛』をみており、その鑿の跡は、『原始の人〔=芸術家〕のもののように不器用さを示しているが、確かに雄弁である』と述べている。~略~『これらすべての根本は浅浮彫の彫刻芸術であり、素材の性質におけるフォルムと色彩である』とゴーギャンは言った。意味を担っている技法は真に革新的であり、それはすでにロダンの技法に比較されている。ロザリンド・クラウスによれば、『観者に対して彫刻の物語的意味〔の解明〕へのあらゆる可能性を拒否するために彼〔ゴーギャン〕が用いる手順は、ロダンが《地獄の門》で行っているそれに近い』」。もうひとつの作品「神秘的なれ」は似て非なる作品のようです。「1年後に制作された《神秘的なれ》は、作者自身が言うように、《愛せよ、さらば幸いならん》の対作品であり、縦と横は逆であるが大きさはほぼ同じである。人物と周囲の空間の表面処理や色彩において共通した特質を持っている。~略~《愛せよ》の複雑な構図とは対照的に、《神秘的なれ》のそれは中央に背中から捉えられた裸婦が一人、それを挟んで右上に、正面向きの目をもつエジプトの絵のような横顔が、左下にはル・プールデュの女性の民族衣装のような被り物を着けた人物がいるのみの単純な構成である。裸婦を囲む波の様式化された装飾的表現に関しては、日本の彩色木彫との関連が早くから指摘されている。」次にゴーギャンの生涯のエポックに繋がる文章がありましたので引用いたします。「絵画に比して木彫においては、タヒチ渡航を半年後に控え、プリミティフな世界がブルターニュから異国の世界へと、より遠く、しかしより身近に捉えられている。女性はもはやブルターニュの女性ではなく、体の引き締まった異国の女性であり、謎めいた右上の顔の方を向いている。この頃すでにタヒチへの旅行の準備をしていたゴーギャンは、書物によってオセアニアの文化に触れていたことであろう。」