Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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東京両国の「縄文2021」展
今日は工房に行かず、久しぶりに東京の博物館を訪れました。出かけたのは東京両国にある江戸東京博物館で、「縄文2021」展をどうしても見たかったのでした。家内が用事があるため今日は私一人で行きましたが、予めコンビニで入場券を購入していました。展覧会の副題に「東京に生きた縄文人」とあって、都内で発掘された縄文土器が展示の中心になっていました。私は縄文と名がつく展覧会にはつい惹かれてしまい、今まで何度も出かけました。新潟県や群馬県にも足を運んでいます。新潟県六日町の博物館には岡本太郎著の「縄文土器論」を携えていました。何故そんなに私は縄文土器に惹かれるのか、自ら制作している陶彫は焼き締めで、しかも彫り込み加飾と私が称しているのは、紛れもなく縄文の文様に通じるものがあるからです。自作のイメージは海外の遺跡にあったとしても、脈々と受け継がれる日本人の造形遺伝子が縄文にあると私は信じたいのです。しかも縄文の遺物は世界に類を見ない豊かな世界観を有していて、日本人の自尊心を満足させてくれるからとも思っています。今回の展示内容は土器と土偶に限らず、縄文人の日常生活に迫る多角的な視点があって面白いと感じました。建築家として私が憧れる藤森照信氏が同博物館の館長を務めているので、図録にその執筆があり、その一部を引用させていただきます。「日本列島の新石器時代(縄文時代)にあっては、新石器、土器、定住の3つは世界(ユーラシア大陸)と一致するのに、農業が未発達だった。農業が未発達なのに、人びとは定住して集落を成し、世界一の美しさを誇る土器や土偶を作っていた。~略~多様な気候と多様な地形、これが豊富な海の幸と山の幸をもたらし、縄文人たちの日々の暮らしと表現行為を支えていた。~略~博物館を訪れる日本の人びとは、自分たちの村の祖先の暮らしを見るように見ているのではないか。いろんな時代に人びとの大移動と盛衰が絶えなかった世界では、現在その地に住む人びとが、新石器時代のあれこれを遠い昔の先祖の話として眺めることは少ないに違いない。」日本は島国で、他民族が交わる歴史的背景がなかったことにも関係していて、私も縄文人が自分と繋がりがあると信じているのです。とりわけ私の「発掘シリーズ」の遺伝子は縄文時代にあると言ってしまいたいと思うくらいです。勿論弥生時代になれば大陸から渡来した人びとによって稲作(農業)が齎され、純粋な日本人にも大陸の血が混入されていったとは思いますが、縄文時代の土器・土偶の美しさに私は魅了され続けているのです。