Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「光に焦点を絞る」のまとめ
「なぜ脳はアートがわかるのか」(エリック・R・カンデル著 高橋洋訳 青土社)の「第11章 光に焦点を絞る」をまとめます。「鑑賞者の想像的な関与を促進する、劇的に還元されたアートを探求するにあたり、光と色、あるいは単に光だけを用いたアートの創造を試みたアーティストがいる。」それがダン・フレイヴィンとジェームス・タレルです。まずフレイヴィンの作品に関する論考です。「フレイヴィンの作品は、物体としてのアートという慣例的な概念に敢然と挑戦する。蛍光器具が発し周囲の空間に浸透していく光が、壁や床や鑑賞者に一様に反射して、鑑賞者とアートの区別をあいまいにし、鑑賞者をアートの一部たらしめる。」とありました。つまりフレイヴィンは室内で使われる蛍光灯をギャラリーに持ち込んで、それを作品として提示したわけでした。日本にも同じような表現をするアーティストがいたように私は記憶しています。もう一人のアーティスト、タレルはどうだったのでしょうか。「フレイヴィンが光と色から成る環境を創造したのに対し、タレルは純然たる光と空間の現前から驚くべき芸術作品を生み出した。」とあり、光と色によって静かで畏敬の念さえ覚えさせる雰囲気を創出していたようです。「NASAに協力していたタレルは、18世紀にバークリーによって提唱された、『私たちが直面している視覚的なリアリティは、自分自身が作り出したリアリティであり、私たちの知覚的、文化的な境界の内部にある』という考えを強調する。タレルは自身の作品について次のように語っている。『私の作品には、物体もイメージも焦点もない。では、物体もイメージも焦点もないのに、あなたは何を見ているのか?あなたは、見ているあなたを見ているのだ。私にとって重要なのは、言葉のない思考という経験を生むことである』」タレルのギャラリーでの発表を図版で見ると、発光している何かがあるものの、ギャラリー全体がその柔和な輝きに包まれていて、掴みどころのない表現が現出しています。アートはここまでいってしまったという感想を持ちます。