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「バウハウスへの道」のまとめ
「バウハウス-歴史と理念」(利光功著 株マイブックサービス)の「第一章 バウハウスへの道」をまとめます。バウハウスが設立される動機には、当時の芸術界の様子や時代背景がありました。「芸術はたがいに分離し専門化し、確かに自律性と純粋性は手に入れた。しかしこれは別の観点からするならば、芸術がその背景をなす現実から遊離し、生活の地盤を失い、孤立化し卑小化することを意味する。ここに芸術家たちの間に力強い大芸術を求めて再び諸芸術を統合しようとする希求が間歇的に現われる理由がある。」ドイツではドイツ工作連盟が結成されました。「この連盟は『芸術・工業・手工芸の協調により、当該問題に対する教育宣伝および態度表明を通じて、工業製品の向上』を目的とし、芸術家・工業家・手工芸家・販売業者を結集して、ドイツの工業製品の品質を高め、もって他国との生産競争を有利に展開することを意図していた。」イギリスのウィリアム・モリスは手工技術に固執していましたが、ドイツは異なる方向に向かうのでした。「彼(ヴァン・デ・ヴェルデ)はモリスと違って現代が技術の時代であることを肯定した。すなわち技術家の所産や工業的大量生産品も、芸術家の所産と同様に美しいことを認め、汽車・蒸気船・機械などの『この以前に知られていなかった美の特有の性質』を研究したのである。」ヴァン・デ・ヴェルデはヴァイマルに招聘されると私的教育機関を設立し「工芸ゼミナール」を創設しました。さらに新進建築家グロピウスが登場してきます。「グロピウスをヴァイマルに結びつけ、それまで関係のなかった教育の仕事に携わらしめるそもそもの機縁となったのは、ヴァン・デ・ヴェルデがグロピウスに宛てた一通の書翰であった。」そこで学校設立に誘われたグロピウスは、芸術教育案を考案しています。「学生は手仕事を習得した者か、一定期間工場で製図工として働いた者でなければならない。学生は工房から親方に委託された仕事、例えばある製品のデザインを持って学校に来る。学校のアトリエでそのデッサンを教師の指導の下に考案し、親方の工房に戻るのである。教師は工房や工場に出向いて親方と密接に連絡をとりながら、そのデッサンの完成を追う。技術的修練はあるが、製図の基礎のない学生は、製図のクラスに入って芸術的デザインの基本概念を学ぶ。また学校では実例を用いて理論的・歴史的講義を行う。このようなデザインの過程を通して技術的・商業的・芸術的疑問点を除去し、有機的形成の修業をするのである。」こうしてグロピウスを校長に据えたバウハウスは設立されたのでした。「すでにみたようにバウハウスは形式的には全く新たに創設されたのではなく、旧美術大学と旧工芸学校の合併によって成立したに過ぎない。しかしその名称といい、プログラムに盛られた理念といい、新設の学校といってよいほど新たな出発であって、古いアカデミーとは大きく断絶していた。しかし実際問題としてアカデミーの教師と生徒を引き継がなければならなかったし、それに敗戦後の現実は厳しかった。グロピウスの苦難の道が始るのである。」