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「ヴァイマルのバウハウス 飛躍から閉鎖まで」のまとめ①
「バウハウス-歴史と理念」(利光功著 株マイブックサービス)の「第四章 ヴァイマルのバウハウス その三 飛躍から閉鎖まで」の前半部分をまとめます。「工作教育は集団的な建築作業のための重要な前提である。だが手工作教育の目的は手と技術的能力の多面的訓練であって、特異な手工芸家を養成することではない。手工作教育は手段であって自己目的ではないのだ。しかも『バウハウスは機械を造形の近代的手段として肯定し、それとの協調を求める』が、学生に手工訓練を課さずに工業界に送り込む訳にはいかない。手工作業と大工場作業との相違は、原始的な手工道具と、技術的に改良された機械の相違に帰せられるのではなく、手工的なるものの統一作業と、工場的製作過程の分割作業にあるのだ。」また建築に関してはこんな文章がありました。「バウハウスの教育計画で特に注目されるのは、初めて建築教育が具体的に組み込まれたことである。グロピウスの説明によれば、建築の実践にはさまざまな綜合的能力が要求されるのは当然であるが、一層重要なのは機械・電信・高速輸送機関の時代を肯定する新しい建築思想を把握することである。建築は生きた有機体でなければならず、我々は建築の意味と目的がその建築量塊相互の緊張を通しておのずから明瞭な無駄のない建築を創りたい。」という理想がありました。バウハウスは大掛かりな展覧会を開催しました。「学生との討論も行なわれたが、結局外に向ってこれまでの業績を示し、我々が工業家に勝つことができぬと、バウハウスの存続が危うくなるのではないかという危惧の念が、バウハウスをしてこの展覧会を試みることにさせたのである。~略~ドイツ国内はもとよりヨーロッパ各地から、会期中約1万5千人の人々が観覧に訪れ、各種の新聞、雑誌がその模様を報じ論評を加え、一躍バウハウスの存在と特色を世間に知らしめたのであった。」これを読んで高校時代に工業デザイナーを目指していた私は、バウハウスの時代に生まれていたなら、どうしても入学したいと希望していたはずです。「グロピウスが提唱したこの新テーゼによって、バウハウスは機械時代の大量生産工業時代の新しい学校へと脱皮した。これまでのバウハウスはどちらかと言えば旧来の美術学校や工芸学校の延長上にあった。しかるにこの時期からバウハウスは、現代の流行語で言えばデザイン、特にインダストリアル・デザインの教育および実践の機関としてユニークな展開を示すのである。」