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「1920年代から終焉まで」のまとめ②
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)の「第七章 1920年代から終焉まで」の後半部分をまとめます。ここでは1925年にパリで開催された「現代産業装飾芸術国際博覧会」でデザインの現象となった「アール・デコ」について触れています。「一般的にアール・デコ様式の特徴として、左右対称、直線と立体、幾何学文様、ならびにプラスチック、鉄筋コンクリート、強化ガラスの使用、大量生産への適合が挙げられる。しかし、実際には左右非対称、流線型、高級素材の利用、古典主義的な貴族趣味も見られ、きわめて複雑で多様な様式概念であった。また、アール・デコは純粋芸術に格上げしようとした装飾芸術がデザイン的なるものに応答する道程にあらわれた現象であり、その契機と目的には生産者・創作者からの意図だけでなく、世界大戦の心的外傷から逃れようとする消費者の趣味や欲望が絡んでいたとも指摘されている。~略~一方、オーストリアのアール・デコの担い手となったウィーン工房では優美な趣味性が優勢であり、大都市の強烈なエネルギーと不可分のパリのアール・デコとは異質であった。」次に博覧会での状況を記した文章を引用します。「最終的にウィーンでは、オーストリア・パヴィリオンは商業面と芸術面の双方で不首尾に終わったと見なされた。~略~博覧会参加を管轄した商務省は、モダニストたちの見方と異なり、ホフマンが偏った趣味の極度にモダンな内装をした点を批判した。~略~芸術面に関する主な批判は、展示作品の手工芸的趣味性が時代に即していないというものであった。~略~記事を書いた記者は、ウィーン工房作品を中心とするオーストリアの出展作品は完全に過去の遺物であると断じている。さらに、装飾が芸術愛好家に過ぎない女性たちによる軟弱な遊戯と見なされ、批判の矛先が女性たちに向っている。」建築家ロースの批判もありました。「ロースは芸術品と日用品を明確に区別し、日用品は徹底して実用的であることが近代性の証であり、芸術との境界が曖昧な一部の金持ちのための美術工芸品は近代的でありえないと主張した。ウィーン工房の審美的な『近代工芸』の欺瞞を糾弾するロースの姿勢は、1900年代から変わっていない。~略~1920年代後半にはロースの有名な講演をはじめ、複数のメディアにウィーン工房の時代遅れの装飾性に対する批判が掲載された。この時期、外部企業との提携が増えたウィーン工房が自社の統一的イメージを維持するうえで装飾性、手工芸性という特徴を前面に出し、実際に女性メンバーがそうしたデザインを得意としたことで、批判が生まれやすい状況が生じていたといえるだろう。」そこに世界恐慌がやってきました。「一度は再建しかけたウィーン工房は、世界恐慌という社会的要因により再び経営危機に陥った。最終的に1932年に会社は解散し、29年の活動の幕を閉じた。メーダ・プリマヴェーシは、莫大な経済的損失を理由にウィーン工房を閉鎖する方が、これ以上芸術的水準が落ちるよりもよかったという趣旨の発言をしている。これは、1903年にウィーンの芸術刷新運動の一環として誕生し、国家的な大変動を経ながらも、美的なデザインを創り続けてきたウィーン工房の自負を言い表したものといえるだろう。」今回はここまでにします。