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葉山の「朝倉摂」展
先日、家内と神奈川県立近代美術館葉山で開催している「朝倉摂」展に行ってきました。「生誕100年」と副題にあったので、ご存命であれば100歳になっているはずです。ただ、作家は91歳まで生き、長寿を全うされていました。朝倉摂は舞台美術家として名を馳せていたので、私にとって初期の頃の絵画は初めて見るものばかりで、舞台における圧倒的な視覚表現以前に、こんな社会性のある絵画表現をやっていたことに驚きました。舞台美術家として充実期を迎えていた朝倉摂に、大学生であった家内は会っていて、その迫力に忘れられない印象を残しているらしく、今回の展覧会鑑賞に繋がったのでした。私は日本画やそれに続く象徴的な表現に一貫するデッサン力に感心しました。図録にこんな文章がありました。「『日本画』の『デッサン』が『甚だあいまいであり貧弱のもの』と批判し、『タブローを作りうるための一大要素であるデッサンの本当の意味は、コンストラクションの追求と正しきフォルム(画面に漫然と形を描く事ではなくその内在する所)の把握に外ならないのであります』と日本画の枠をこえてデッサンの重要性を強調している。自信漲る若き画家のマニフェストというべき文章であろう。そこには、恵まれた環境に育ち、父親の彫刻家としての創作から学んだデッサンという基盤が備わっていた。それは正確に量感を捉える空間感覚に秀でた彫刻家的ともいえるデッサン力であった。そこから出発したからこそ朝倉摂が、日本画と油彩画というジャンル意識を軽々と越えることができたのである。」(水沢勉著)さらに展示内容は、絵画から舞台美術に表現を移して、さまざまな人と関わる総合芸術に向っていきます。「私より大分年長だったが、朝倉さんはたとえて言えば水、それも軟水ではないさまざまな有機物を含む硬水のような存在で、年長であることは愚か、女性であることすら感じさせない、濁りのないジェンダーレスのような人だった。私が台東区の谷中に住んでいた頃、すぐ近くに摂さんの父上、高名な彫刻家朝倉文夫邸があって、ヨーロッパの貴族でも住んでいるかのようなその重厚な門構えが、権威と無縁な摂さんの人となりにそぐわない気がして、当時どちらかと言えばいわゆる左寄りの思想を持っていた摂さんには、この家から出ることが必要だったんだろうなと、私は勝手に納得していた。」(谷川俊太郎著)社会的なテーマを内在した絵画から、社会的な提言をする演劇への表現の変遷は、よく理解できました。そうした風潮とは別に、舞台が流麗さと大胆さを帯びていくのは晩年の作家の真骨頂ではないかと思えました。