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「工業と重金属」について
「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は17番目の「工業と重金属」について、留意した台詞を取り上げます。「ロダンの石膏像の使い方はじつに自由奔放だ。助手たちに粘土の原形を渡して『これで手を30個つくってくれ』と言う。そうしてできあがったものを使って、彼は寄せ集めをつくるんだ。~略~ロダンのそういう作品からは、アンソニー・カロのような芸術家たちが1960年代に工業製品の破片を使ってつくった彫刻を思い浮かべざるをえないね。彼らのような新しい世代が出てくるずっと以前から、ロダンは身体を断片化して、構築的なシステムの部品として扱うことができたように思える。連続的な繰り返しや、ひとつの部品を他の部品と結びつけるさまざまな方法、そして身体をばらばらにしてから再び別の新たなものを創造する能力に関する限り、ロダンはカール・アンドレやドナルド・ジャッドを先取りしていた。」(A・ゴームリー)「ブランクーシははじめてパリにやってきて短期間、ロダンのアトリエで助手のひとりとして働いたことがあります。でも2ヶ月で『大樹の下ではなにも育ちはしない』と言ってそこを出てしまいました。~略~19世紀後期のバルカン諸国について言うと、ブランクーシの生地、ルーマニアのホビツァのような村での暮らしは、本質的には中世と変わるところがありませんでした。少年時代の彼は羊の世話をして暮らしています。そこでは人々の暮らしが求めていたのが、金属製の工業製品よりもむしろ手でつくることのできる品、とくに木製のものだったのです。~略~当時パリといえば芸術の面でもテクノロジーの面でも、地上でもっとも進歩した場所のひとつです。彼の作品は、生き方でありつくり方でもあるこのふたつ、つまり芸術とテクノロジーをつなぐもの、あるいはそれを分かつものに関わっています。」(M・ゲイフォード)ここで工芸に話題が及びます。「芸術と工芸のあいだには単純な違いがある。芸術は世界に疑問を投げかけて、それゆえに人の生活をより複雑なものにする。一方で工芸はその生活をもっと簡単に、より過ごしやすくするためにある。いうなれば工芸は人間が生活するうえで必要とするものと、周囲の環境とを和解させるものだ。それは快適さや、厳しい環境から守ってくれる住処、身体を支えてくれるものなどと関わっている。けれども芸術は物事を複雑にし、心のなかに思考や感情の別々の方向性を提供するものであって、だからこそ世界に対峙するものでなければならない。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。