Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「仕上げの彼方へ」について
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は副題を「エドゥアール・マネ没後の闘争」としています。その「第5章 黄昏あるいは黎明」の「1 仕上げの彼方へ」についてまとめます。ここではマネの言葉が掲載されています。「愚か者たち。やつらはぼくの出来不出来ばかり言い立てた。だけどこれほどの褒め言葉はなかったのさ。自分自身にたいして同等なものでありつづけることはない、というのがずっとぼくの野心だったのだから。昨日やったことは翌日には繰り返さないってことが。やすみなく新しい局面から霊感を得つづけて、あらたな調子を聴かせるべく努めることがぼくの野心だったのだから。ああ、あのカチンカチンのご不動どもめ。定式を手にしてそこに執着して、それで年金を手にする奴らめ。それがどうして藝術をおもしろくできるだろうか。ねえどうだい。そうじゃなくって、一歩でも前へ決然と進み、なにかを示唆するところある一歩を記すのが、それがオツムのある人間の職務というものだ。1世紀先に生きる連中、連中は幸せなことだろうよ。連中の視覚器官はぼくたちのよりももっと発達していて、もっとよく見えるだろうから。」次に解説が続きます。「ここでマネの目指しているのは、あらかじめ設定可能な予定調和の『完成』状態へと収斂するような出来合いの制作過程そのものを拒絶する態度である。この場合、鑑賞者に要求されるのは、もはや実現された作品と実現されなかった意図との乖離を透視して、両者の落差を埋め合わせるような想像力ではないだろう。むしろ必要なのは、制作の苦心を糊塗する彩薬という『仕上げ』の化粧術の虚妄を剥ぎ取るような想像力であろう。」それでもマネにはゾラの後押しを必要としていたこともありました。「『理想もなく、構想もなく、情動もなく、詩情もなく、デッサンもなく、構成された絵画を作る能力もない』というないない尽くしの連禱はジョセファン・ペラダンがマネ回顧展を見物したあとで公表した罵倒だったが、実はこうした欠如にマネの長所を見出すような価値観の転倒こそ、ゾラがここで記述に縫い込んだ屈曲であり、1884年のこの文章(回顧展序文)が『象徴的な革命』に加担していた所以でもあった。~略~あらゆる規則の不在、アカデミーの教育の無意味、自然主義の勝利、日本人の影響、これらがあきらかにあらゆる束縛から解き放たれた藝術の、楽しげな孵化を決定していたのだ。」今回はここまでにします。