Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「第三共和制初期の美術行政」について
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は副題を「エドゥアール・マネ没後の闘争」としています。その「第6章 美術行政と美術制度の刷新」の「2 第三共和制初期の美術行政」についてまとめます。「プルースト(アントナン・プルースト)が提唱する『現代』とはまさに『我々が生きる時代の表現』であり、『目撃されたものであって、けっして過去の画家たちを感動させたようなものの焼き直しではない』と規定される。『過去を再生させたり翻案したりといった試みが繰り返されたのち、我々の世紀は現在から霊感を得るという賢い選択をしたのである。かくして考古学的な再現の単調さに採って代わったのは、不断に更新される真実の光景である』。これはそのまま『消滅したものへの信心におそらくはあまりに心を砕きすぎた伝統の絆から身を解き、光に接して、最も現代的で最も生き生きとしたものを描き写そう』とした画家としてマネを讃えたプルーストの弔辞のなかの言葉をそのまま思い起こさせる。大藝術のアレゴリー絵画を全面的に否定する、当時としてはあまりに斬新な見解である。」1889年に万国博覧会の「フランス美術百年展」が開催されました。「主要な作品を拾ってみると、その意図はより明確になる。ダヴィッドは肖像と巨大な《ナポレオンの戴冠》のみ、アングルは7点に対して、ドラクロワは20点を越え、クールベは《石割り人夫たち》、《女と鸚》など11点、そして栄誉の間をあてがわれたマネは14点を数えた。《笛を吹く少年》、《オランピア》、《ル・ボン・ボック》、《アルジャントゥイユ》、《舟遊び》などが展示され、マネ没後の勝利がようやく決定的になったのは、実にこの万国博覧会においてであったと今に伝える。」銅版画についても脚光を浴びるようになりました。「かつてボードレールの時代には絵画の老衰と表裏一体をなす出来事だった腐蝕銅版画の流行が、一新された価値観の下では、この半世紀の藝術の刷新を顕揚する顕著な模倣的作品の地位を獲得するにいたっていた。『これらの腐蝕銅版画と石版画は特徴ある総体をなしており、それによってピサロの独創性と才能の真価をたいへん正確に評価することができる』。今でこそ当たり前に見えるこの『独創性』という言葉そのものも、1867年から70年にかけてのデュレ自身の美術批評では、奇矯さを弁護する護符同然だった。」今回はここまでにします。