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「栄光のデビュー」と「展望」について
「一期は夢よ 鴨居玲」(瀧悌三著 日動出版)の「栄光のデビュー」と「展望ー後半生15年」についてまとめます。画家鴨居玲はパリから帰国後に「大阪日動画廊」で個展開催の機会に恵まれ、その後さまざまな機会が巡ってくることになりました。「個展のあとの玲は、五月の東京都美術館での『二紀選抜百人展』で百人展賞を受け、六月の大阪市立美術館での『関西二紀展』では同人賞を受け、さらに秋十月の二紀展では、会員に推挙された。二紀内では、もう以前の玲ではなく、力量が一回り上になったことをこの経過は示している。」日動画廊社長の長谷川仁は玲の作品を「『底光りするもの』があるとし、そこに画商としての宣伝的持ち上げがなくはないにせよ、玲の将来性を買うという意思は、はっきり見えている。」と評していました。さらに玲には大きな賞がやってきました。「昭和44年、玲は、二月の日動画廊主催『昭和会展』で『ふりかえる』によって優秀賞を受賞、その勢いに乗って三月の安井賞展(第12回)では『静止した刻』が安井賞を受けた。」ところがここに問題が発生しました。美術記者日野耕之祐による新聞記事の真意を、著者が聞き取ったことに触れた箇所がありました。「新聞に鴨居の作品について書く時、問題化するのが面倒と思ったから、盗作などとは書かず、似ているという程度にとどめて書いた。しかし、ラファエル・コロネルにあれが基づいていることは誰でも言っていたし、僕(日野)が口にするまでもなく、盗作という噂が立ったのは、何かの経路で、鴨居の処にも届いていたろう。」これには玲は相当悔しがったようです。「単刀直入に言えば、後半生の玲は、死に至る病を生きた。矛盾だらけで、それは死によってしか解決出来ず、また自らも死によって解決しようと度々図っているから、玲が抱え込んでいたものは、死に至る病なのだ。」玲の内部分析に言及している箇所がありました。「玲の内部には、楽天的空想家と悲観的厭世家、ケチと浪費家、摂生家と不養生家、目立ちたがり屋と隠棲志向者等、そんな相矛盾する存在が同居していて、それが交互に鋭く表面化し、ひどい時は、一日で交替した。」さらに制作に対する閉塞感も書かれていました。「制作はイメージで描く。それも人物が殆どで、その人物は、本質的には自画像である。鏡をアトリエに置き、鏡に映った自分の姿を基に、イメージ像をリアルの方に変容させていく。しかし、イメージを内側に求めるせいで、イメージに新しいものが加わらず、その枠も狭く限定されてしまい、容易には変化していかない。長く続けるうちにパターン化し、類型化し、マンネリズムを呈する。同工異曲が多いのである。」いよいよ本書は終焉に向って進んでいきます。