Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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週末 無くなった書籍を発見
昨日は工房の作業棚の整理をしました。工房の作業棚には図録がかなりあって、それを自宅の書棚に徐々に運搬することにしたのです。陶彫制作の合間に何気なく始めた仕事でしたが、図録が並んでいる背後に、無くなったと思っていた書籍を発見した時は嬉しくて気分が揚がりました。あの書籍にもう一度目を通したいと思っていて、しかも貴重なものだったので尚更でした。発見したのは「シュルレアリスムと絵画」(アンドレ・ブルトン著 瀧口修造・巌谷國士監修 人文書院)で、冒頭の文章「眼は野生の状態で存在する。」という書き出しに着目し、それによって私は一気にシュルレアリスムの虜になってしまったのでした。この書籍と、もう一冊「魔術的芸術」(アンドレ・ブルトン著 巌谷國士監修 河出書房新社)が私のシュルリアリスムへの導きとなりました。私自身はシュルリアリスムそのものの思考で作品を作ったことはありませんが、自分の血肉の中に超現実的なイメージが入り込んでいると考えています。今日も陶彫制作に朝から精を出していましたが、何かを象徴する世界を創出すること自体がシュルリアリスムの一端だろうと思っているのです。創作行為は空間に関する解釈と思索に立脚しています。写実ではないものを追究すれば、それはシュルリアリスムを含めた思想の構築に他なりません。私は陶土に触れながら、また陶彫成形や彫り込み加飾にヘラを駆使しながら、現在作っているモノの意味を問うことをしています。そうした行為の中で「シュルレアリスムと絵画」と「魔術的芸術」は、私の迷いに応えてくれる書籍でもあるのです。パラパラと頁を捲り、何か触発される一文に目が留まったときは、ちょっとした嬉しさに満たされます。それは哲学書でも同じで、一度読んだものでも内容が多義にわたるものであれば、細部は忘れてしまっていることが多いのです。私の悩みは細部に宿ることが多く、些細な表現に目を覚ますこともあります。日曜日の制作途中にこんなことを考えていました。私の目の前には、日曜日になるとやってくる後輩の木彫家と美大受験生がいて、彼らも自分の考えを巡らせながら課題に取り組んでいるのだろうと思っていました。