Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

映画「ヒトラーのための虐殺会議」雑感
先日、横浜の中心街にあるミニシアターにドイツ映画「ヒトラーのための虐殺会議」を観に行きました。映画は会議室内で交わされた会話のみで進行していきます。動きのない映像に自分は耐えなければならないのかと上映前は自問していましたが、その退屈さは瞬時になくなり、事務的な会話の背後にある人類最大の悲劇を喚起せずにはいられない雰囲気になりました。内容は1942年1月20日、独ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅にナチス親衛隊と事務次官が、国家保安本部長官の下に呼ばれ、1100万人ものユダヤ人を駆除する方策を話し合うものでした。議題は➀移送 ➁強制収容と労働 ➂計画的殺害で、出席者15名、秘書1名で会議時間は90分。図録によると「虐殺に関与する諸機関や国防軍とはすでに協働体制にあったのである。この会議は、これら諸機関を調整し、権力・暴力の行使をさらに『効率化』するためのものだった。~略~この会議を、最新史料をもとに克明かつ精緻に描き出したのが本作である。ナチ高官同士の激しい競争意識が見え隠れし、彼らの目に映るのは自らの権力や地位の未来だ。だが確実に会議の先の未来には『個々人の死』がある。この透明なおぞましさは、本作の主演者のすばらしい演技によって表現しつくされている。」(柳原伸洋著)私も出演者たちのそれぞれの演技によって、実在した人物の人格や性格が露わにされている様子が見取れて、15人の関わりや立場がよく分かりました。ひとつの民族の葬り方を話し合う異常な空気を、冷静な事務手続きのように描いていることに私は背筋が凍りそうでしたが、ドイツ軍部に必要な熟練工やドイツ人との混血のユダヤ人をどうするのか、という議論もあり、いずれは最終的に抹殺を結論づけるとしても、細かなところに話が及ぶことで、一層リアルな情景が思い起こされました。私が注目したのはこれをドイツ人自らが制作した映画であることです。自分たちが犯した重罪と真摯に向き合う姿勢が民族としての猛省を感じさせていました。映画には劇伴音楽がありませんでした。終了時に出るキャストやスタッフの紹介も無音で流れていきました。