Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「上昇記号」(前)について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅵ部 沸き立つモラル」の「第一章 上昇記号」(前)についてまとめます。「シュルレアリスムのモラル上の欲求を維持すること、そのための適切な言葉を見出すこと、1946年5月25日、五年の不在の後にブルトンが妻のエリザと娘のオーブとともにル・アーヴル港に降り立った時、気にかけていたのはそのことだった。」戦後フランスの文化芸術の状況を見て、ブルトンはシュルレアリスムの復権を求め、行動を起こします。「マルセル・デュシャンとの合意にもとづいて、ブルトンは二度目のシュルレアリスム国際展をパリのマーグ画廊で開催することを企画した。デュシャンはブルトンのニューヨーク滞在中からこの企画を彼にしきりに勧めていた。1947年1月12日、ブルトンは参加が予定される芸術家たちに招請状を出し、最初の計画について説明した。割り当てられたさほど広くない空間の中で、グループの結合を再確認し、萌芽状態あるいは潜伏状態にある新しい神話を表現するシュルレアリスムの渇望の変遷を強調することが重要だというのだ。~略~造形的シュルレアリスムがあきらかにした立場は、具象絵画に反発し、また美術を扱う商売の生産と消費の関係から遠ざかること、そして保守主義の精神を挫折させつつ、詩的精神にささえられてたえずみずからを更新することだった。リアリズム同様純粋な抽象をも拒絶するシュルレアリスムは、なによりもまず精神状態であり、オートマティスムによる象徴的で幻覚的なアプローチなのである。」ここにシュルレアリスムの造形的概念が端的にまとめられていて、私は妙に納得した気分になりました。「12月にプラハで開かれたシュルレアリスム展は、12年前にブルトンがやはりプラハで提示したテーゼをシュルレアリスム運動が今なお全面的に維持していることを、人びとに想起させる機会となった。芸術は命令や戒律に耐えられず、政治的モラルの批判にもしたがうことができない。芸術家はあらゆる隷属性に、サルトルによって広められた『アンガージュマン』の思想にさえ逆って、感覚的な諸能力の伝達を確実なものとしなくてはならない。こうして、フランスへの帰還以来ブルトンは、希望を再びあたえてくれる唯一のものであるように彼には思えた、シュルレアリスムの企ての多様な要素を飽きることなく数え上げ、ユートピア思想を現在に挿入して知識と行動の原動力としたのだった。」今回はここまでにします。