Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「ヴァンス・ロゼリオ礼拝堂」について
東京都美術館で開催中の「マティス展」。展覧会場の最後を彩るのは「ヴァンス・ロゼリオ礼拝堂」の下書きや構想でした。マティスが第二次世界大戦中に疎開した丘の町ヴァンスにその礼拝堂はあり、カトリック・ドミニコ修道会の尼僧たちのために建てられたものだそうです。表現方法は異なりますが、生涯最後の仕事として、私は画家藤田嗣治の内装によるランスにある「平和の聖母礼拝堂」を思い出しました。私はどちらの礼拝堂にも実際に訪れていないので、直接的な印象を持っていませんが、画家として公共的な仕事ができた幸運と幸福に、羨望の眼差しを感じています。ロゼリオ礼拝堂に関して図録より引用いたします。「複数の技法ーデッサン、彫刻、切り紙絵ーを駆使しつつ、マティスは光、色、線が一堂に会する空間を創り出すことを企画。本人の弁によれば、この礼拝堂は『訪れる人々の心が軽くなる』ようでなくてはならなかった。『神を信じているかどうかにかかわらず、精神が高まり、考えがはっきりし、気持ちそのものが軽くなる』ような場となるべきだったのである。~略~『複数の徴しから成るひとつの全体』として構想された《十字架の道行》は、作者がすでに齢80を数え、手術で一命をとりとめて『第二の人生』を得たものの体は弱いままであったことを考えれば、驚嘆すべき力業である。~略~1952年、礼拝堂の仕事が完成を迎えるとともに彼自身も達成感を覚え、こう述べている。『私はこの礼拝堂を、ひたすら自分を徹底的に表現しようという気持ちでつくりました。ここで私は、形と色から成る一個の全体性として自分を表現する機会を得たのです。この仕事は私にとってひとつの教えでした』。生涯の終わり、創造力の頂点にあったひとりの芸術家がつくりあげたロゼリオ礼拝堂は、まさしく畢生の大作である。」アンリ・マティスは長い画業のうちで、さまざまな困難を抱えていたとしても、最終的に自己表現の到達点に辿り着いたことを考えれば、稀に見る幸福な芸術家であったと言えるでしょう。