Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「受難の正面」のキュビズム彫刻
先日見に行った東京国立近代美術館で開催されていた「ガウディとサグラダ・ファミリア展」。貴重な資料や模型が展示されていて私は満足を覚えましたが、ガウディの意図するものを造形化する中で、どうしても納得のいかないと思われるものもありました。ただし、私は実際にこの目でサグラダ・ファミリア聖堂の現状を見ていないので、説得力のない意見に終始してしまいますが、自然から導き出されたオーガニックな形態で統一されたガウディ独自のデザインに、私は建造物自体に豊かな生命力を感じていました。ガウディは「降誕の正面」に見られる歓喜とは真逆の「受難の正面」では、磔刑の残酷さを無装飾の荒涼とした造形で表現することを望んでいたようですが、ここに据えられたキュビズムの彫刻群は、無装飾とは言い難い印象を私に与えました。私が感じた違和感も個人的で根拠のないものではないかと思っていたところ、図録にこんな文章を見つけました。「『ガウディが残した図書、および弟子たちに与えた指示に基づき建設を続行する』と規定された。この規定からすれば、スビラクスのキュビズム的なスタイルで制作した彫像群配置は規定違反である。しかし、既に著名な彫刻家であり、彼独特の角張った幾何学的な造形は『受難の正面』にふさわしいと判断されたことから、規約からの自由が許されたのであろう。」著名な彫刻家に白羽の矢が立ったという解釈で、キュビズムの彫刻群が据えられたわけですが、それならばサグラダ・ファミリア聖堂全体の統一性はどうなんだろうと私は考えざるを得ません。キュビズム彫刻は、例えばオシップ・ザッキンの作品を見ても、主張の強さを感じさせ、場面によっては印象を残す表現です。サグラダ・ファミリア聖堂でなければ、スビラクスの作品は深い内面性を湛えた素晴らしいものになったでしょう。そう考えるのは私だけでしょうか。いずれにしてもサグラダ・ファミリア聖堂が完成した暁には、実際にこの目で見て、肌で空間を感じ取りに行きたいと私は願っています。