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映画「オオカミの家」雑感
昨日、渋谷イメージ・フォーラムで上映しているチリの映画「オオカミの家」を観てきました。家内が邦楽演奏があったために私一人で出かけました。映画を観終わった後、私には情緒が不安定になるような不思議な感覚が残されました。本作はストップモーション・アニメで、本編に入る前に別の監督による短編「骨」の上映がありました。これは死者が甦る映像で、カルト的な世界は「オオカミの家」に共通していました。戦後ドイツのナチ信奉者がチリに作ったコミューン「コロニア・ディグニダ」に着想されていて、全体的に不健康な雰囲気があり、それによって感情に刺激を与える要素が、自分を捉えて離さないのではないかと思いました。内容としては、チリ南部にある施設から逃げ出し森の中の一軒家で二匹の豚と出会った娘マリアに起こる奇怪な出来事を描いています。二匹の豚は2人の子どもの姉弟アナとペドロに変身しますが、それも束の間、形が崩れ落ちたり、異形に変容する有様が止めどなく執拗に続いていきます。この不安定は何なのか、図録の文章から探してみることにしました。「マリアが支配されているのは、『言うことを聞かなければ悪いことが起こる(お仕置きもされる)』という世界観だ。マリアがオオカミに支配されているというだけではない。マリア自身もまた、自分自身が生み出したペドロやアナに対して同じ世界観を押し付ける。このことがまさに、マリアが完全にオオカミの世界観に囚われきっていることを示している。支配された者が支配するものになったとき、同じことを繰り返してしまう。被害者であったものが、加害者になってしまう。この二重の立場のあいだの揺れ動きこそ、本作の面白さであり、恐ろしさだ。コロニア・ディグニダで暮らす彼女には、そういう考え方以外できる余地がないということが暗に示される。」(土居伸彰著)ストップモーション・アニメは立体から壁伝いに平面に移行し、部屋の模様替えも瞬時に行っていきました。クリストバル・レオンとホアキン・コシーニャの2人の監督は、美術館に実寸大のセットを組み、等身大の人形や絵画をミックスして制作をしていました。制作の様子は美術館で公開されて、映画撮影を進行していたようです。これも新しい試みだろうと思います。観ていた観客は20代が多かったようですが、映画館はほぼ満席でした。物語の真意を理解するのは時間がかかりましたが、奇抜な発想の下に深淵なる世界が見え隠れしていて、印象としては重いものがありました。