Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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新聞記事「神に祈る姿は…」
昨日の朝日新聞の「折々のことば」で取り上げられていた記事に目が留まりました。「神に祈る姿は、世の中で最も美しいものの一つです。」これは随筆家白洲正子の言葉です。これについて鷲田精一氏が解説をしています。「祈りは、ある慾や願いが元にあったにせよそれさえ忘れ、自分を遥かに超えるものに身を委ねることだと随筆家は言う。とはいえこれほど難しいこともない。だから、自然の情景や絵を見て思わず『ああ、いい』とため息を洩らし手を合わせたくなる、その気持ちを大切にすればいい。『安心出来るという、これ以上の強味は人間としてない筈です』と。『かそけきもの』から。」ある特定の宗教を信仰していたなら、たとえば仏教徒なら仏像を見て、またキリスト教徒ならイエスの磔刑像を見て、神に祈る姿を容易に思い起こせますが、私のような先祖代々が信仰している仏教が形骸化した者にとっては、祈りとは何かを考えたくなるものです。嘗てルーマニアの山村でキリスト正教会のイコンに対して純粋無垢に祈る村人の姿やそのシルエットを美しく感じたことがありました。人間は素敵だなと思った瞬間でしたが、私自身はどうでしょうか。宗教の何たるかを知らない私は、芸術作品に祈りに似た気持になる感動を与えられたことがありました。宗教ではない何か、人の感情に理屈なしで入ってくる何か、それによって、あぁ自分は生きていてよかったと思えた瞬間は、まさに安心の中で育む豊かさではないかと思うのです。文中にある「ああ、いい」は誰にでも訪れる好感を齎す瞬間です。それは風景か、芸術作品か、サブカルチャーか、スポーツ観戦でもいいのです。スポーツなら同じ思いを持った人たちが周囲にいて、同じ思いで共感する瞬間があります。勝利を願う祈りが届いた時に、私たちは生きていてよかったと思うのです。明日も生きて頑張ろうとする活力がそこに生まれます。