Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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上野の「京都・南山城の仏像」展
昨日、東京上野にある東京国立博物館で開催している「京都・南山城の仏像」展に行ってきました。最近は平日でも混雑していて、外国人観光客の姿も見受けられました。私は久しぶりに仏像が複数体佇む空間に接しました。美術的な視点で考えれば仏像は彫刻です。でも自分が学生時代から関わった彫刻とは異なります。現在読んでいる「古寺巡礼」にもありますが、私が学んだのはギリシャ彫刻を源とする西洋彫刻で、眼に見える写実に近づけるために量塊を把握するところから始めました。仏像は眼に見えない何かを求める姿があって、言葉で言い表せないほど凛とした雰囲気に包まれていると感じます。今回修理が終わった阿弥陀仏が展示空間の中央にありました。仏像の表情は私の全てを静観しているようで、西洋的な量塊把握から遠い位置に存在しているように思え、立体が纏う精神的な空気感が違うのかなぁと考えました。南山城とはどんな場所なのか、図録より引用いたします。「古代から寺院が営まれ、奈良の平城京と京都の平安京、それぞれの時代に二つの都から影響を受けて文化が育まれてきました。~略~南山城の歴史を考えるうえで、木津川はとても大きな存在です。奈良時代の和銅三年(710)、現在の奈良市に平城京が置かれ、東大寺や興福寺といった大寺院の造営が始まりました。堂宇の建立には大量の木材が必要とされ、木津川上流の和束、加茂、笠置といった地域から伐り出された木材は、川を下って津と呼ばれる船着き場で陸揚げされて平城京へ運ばれました。~略~乾漆造の仏像の多くは奈良地域に作例が残ることから、木津川を介して奈良の仏像との接点を見出せるのは大変興味深いです。」そこに浄土信仰の隆盛もありました。「九段階の極楽往生の仕方になぞらえて、九体の阿弥陀如来像をひとつの堂宇に安置することが貴族によって流行しました。これを九体阿弥陀といい、当時の彫像と堂宇が唯一現存するのが浄瑠璃寺(九体寺)です。」(引用は全て増田政史著)仏像は永く祈りの対象として、人々の魂の救済に務めてきました。それは寺院内に安置しているからこそ、その景観全てが祈祷の対象になってきたのですが、博物館に仏像のみ展示されるのは、仏像が宗教的意味合いから美術的意味合いに移行しているのではないかと私は考えています。実際に仏教に精通しない私みたいな者が、仏像に関心を寄せ、また心が動かされるのは芸術品として仏像を鑑賞している現われでしょう。