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「幼年から青年時代へ」について
「土方久功正伝」(清水久夫著 東宣出版)の第一章「幼年から青年時代へ」の気になった箇所を取り上げます。土方久功は恵まれた幼年時代を過ごしています。父は明治3年(1870)東京生まれでした。「明治41年(1908)3月から翌年12月まで軍事研究のためドイツに留学し、帰国後、再び陸軍野戦砲兵射撃学校の教官になった。」とありました。母は「明治10年(1877)生まれで、父は海軍大将・柴山矢八男爵であった。」とありました。また久功の伯父(父の長兄)は、「明治の元勲として知られる土方久元伯爵だった。」とあり、親戚に華族がいたようです。久功も学習院初等科・中等科に学んでいましたが、大正8年(1919)に東京美術学校彫刻科に入学しています。「久功の美術学校時代の生活の中心は、従甥(いとこの息子)で幼馴染の土方与志(本名は久敬)がこの年に小石川の自邸内に作った模型舞台研究所であり、関東大震災の翌年に創設された築地小劇場であった。」演劇の手伝いとともに久功は、作品を二科展や院展に応募して落選をしていました。公募展に気に入られるような作品を作っていなかったという当時の批評もあって、久功の考え方が伝わる文章が残されています。「私は彫刻家になるつもりで美術学校に入ったのですが、美術学校を卒業する前に、彫刻の大家になって取りすますような気は毛頭無くなって了ったのです。それから後は、惰性でぐづ~して居るうちに、美術学校を卒業してしまったのですが、今になっても、美術学校は私に何を教へてくれたのか、何うもしっくりしないのです。いいや、多々色々な技術を教へてくれたのでせう。兎も角も、何も出来なかった私が、何かかにかこしらへるようになったのですから。~略~まあ、帝展に出て居る人達は代表的な玄人でせう。処が皆さん、帝展に行ってごらんなさい。其処にあなた方は何を見ますか?其処にあるのは、デッサンの正確、刀の冴え、仕上げの丁寧、技巧、技巧、技巧、外面、外面、外面です。素人の造るものは、そこへゆくとがさつで、きたならしいです。にも拘らず、素人の作品には、なか~面白いものがあります。何故でせう。私はそれを其の製作動機に帰し度いと思ふのです。これからは全然余技ですから、始めから楽な気持で誰憚る所なく(或は知らない故に)勝手なことをやらかします。ですが、その勝手さが結局自己に忠実である所以なのです。」今回はここまでにします。