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「栄達、名誉を求めぬ一生」について
「土方久功正伝」(清水久夫著 東宣出版)の終章「栄達、名誉を求めぬ一生」の気になった箇所を取り上げます。本書はこの章で終わりになります。「久功は、世間的な栄達、名誉、高官顕職、富裕な生活を求めない。何か自分らしい、いつかは人々に、それと認められるものを残したい。久功は、この言葉通りに生きてきた。世間的な栄達や名誉に見向きせず、民族学研究の成果を発表し、彫刻を制作し、詩作をする。自分らしい、自分にしかできないことをする。羨ましいような、満ち足りた生き方である。~略~昭和32年(1957)1月22日から丸善画廊で4回目の個展を開き、木彫レリーフ10点、ブロンズ5点、石膏4点を展示した。しかし、個展が終って間もない2月4日早朝、10数年病んできた胃潰瘍が限界に達して倒れ、~略~2月5日、胃の3分の2を切除する手術をした。術後2カ月経った4月10日、初めて展覧会回りをし、5月末には、油土で簡単な彫刻に取り掛かるまで回復した。しかし、体力の要る木彫レリーフを制作できるようになるのは、9月の末になってからである。」久功は昭和50年に「静かな朝」という詩を書いていますが、それが敬子夫人には死を予感したように感じられたようです。「7日以降は、ノートを枕元に置くが、書く気力・体力は残されていなかった。昭和52年(1977)1月10日、新宿・東電病院に入院し、11日午後8時、心不全で逝去。享年76。13日、神式により葬儀が行われ、『土方久功大人命』として、茅ケ崎の父母の眠る墓に葬られた。」日本のゴーギャンと呼ばれた土方久功に対し、著者はこんな文章を寄せています。「久功は、ゴーギャンが好きで、ゴーギャンの幻想的なものに引きつけられる。ゴーギャンを真似たいと思う、羨ましくもあるが、どうにもならない。ゴーギャンは、あまりに自分から遠いから好きなのかもしれないと言っている。実際のところ、久功の生き方にしろ、作品にしろ、ゴーギャンとの共通点は非常に少ない。だが、繰り返し言うが、久功が、『日本のゴーギャン』と呼ばれていたのは、事実である。久功にとっては、不本意で、実に不愉快なことであったに違いない。」