Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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東京駅の「みちのく いとしい仏たち」展
先日、東京駅にあるステーションギャラリーで開催している「みちのく いとしい仏たち」展を見てきました。仏像鑑賞と言えば、私は運慶や快慶が大好きで、慶派の仏像展にはよく出かけます。今回の展覧会は慶派とは真逆にある造形で、専門の仏師が彫ったものではなく、地元の大工や木地師が作ったであろう仏たちで、それでも村人に大切に扱われてきた祠などに鎮座する像なのです。陸奥(みちのく)は青森県、岩手県、秋田県あたりを指し、この分野の調査は最近になって行われているようです。図録より引用いたします。「多くの像が樹木そのものの形状を活かすような木取りや彫刻をしていて、上方や江戸における、形が優先で用材はヒノキの寄木を標準とする仏像観とは違う発想が、土地に根ざした民間仏の根底にはあるようです。本展出陳像の多くが奥羽山脈や北上山地の山襞から運ばれてきていることを思い起こせば、城下町の寺々にまつられた仏像と異質なわけが見えてきます。~略~本来仏像を刻むことは僧籍にある者にしか許されない行為です。民間仏は、それぞれ集落や民家の少人数のために刻まれましたから、正しい図像やおごそかさなど仏像本来の資質に欠けていることは問題にならなかったのです。~略~みちのくの山村漁村農村を問わず、日々の暮らしのかたわらに仏像や神像がありました。囲炉裏の煙に煤けたり、年中変わらぬ湿気に足腰を腐らせたり、子どもに手をもがれ、明治政府の命令で放り出されたり。およそ『宗教美術』とかけ離れた扱いをされてきましたが、一体一体汗と涙が染みつくした尊い遺産です。きわめて地方性の強い造形ですが、方言の通訳はいりません。複雑な図像、由緒来歴、作者の系統など多くの知識が必要な京都や奈良の仏像にくらべるとき、みちのくの民間仏たちが訴えるものはわかりやすく、その表現は今も私たちの心に響きます。」(須藤弘敏著)私の地元ではほとんど失われてしまった仏たちですが、幼い頃、雑木林にあった小さな神社で遊んだ記憶が甦ります。神社にはどんな仏像が鎮座していたのか確かめることもなく、私は手を合わせていました。