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矛盾を抱えた宗教画家
現在読んでいる「カラヴァッジョ」の伝記で、彼が作り出した宗教画以上に関心を持っていることが私にはあります。私が画家カラヴァッジョを知ったのは信じ難いエピソードがあったためで、そんな彼が生きた時代背景が知りたかったこともありました。宗教画は、キリストの教えを、文盲だった当時の人々に絵画を通じて分かり易く伝えたアイテムだったはずです。宗教画家は全員が聖人君子であることもないと思っていますが、殺人を犯した人がキリストの教えをどう他者に伝えようとしたのでしょうか。まさにカラヴァッジョは矛盾を抱えた宗教画家だったのではないかと推察しています。「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)によると「1606年5月29日、乱闘の末にラヌッチョ・トマッソーニを殺害し、自らも深手を負ったカラヴァッジョは、夜陰に乗じて馬を走らせ、ローマから逃走し、二度とローマに戻ることなかった。最初はフィレンツェに逃げたという噂が流れ、画家もそれを企てたのかもしれない。しかし結局コロンナ家の領地のあるローマ南東部の丘陵地帯に逃れ、以後、同年10月6日にナポリに現れるまでの約四カ月を、カラヴァッジョはコロンナ領の山岳都市、ザガロロ、パレストリーナ、パリアーノを点々と潜伏して過ごす。ローマでは、逃亡したカラヴァッジョに対して、見つけ次第だれでも処刑してよいという恐るべき『死刑宣告』が出され、以後、画家は死と隣り合わせの不安な逃亡生活を余儀なくされたのである。」とありました。逃亡中に画家には悔恨があったはずであり、自ら犯した罪をキリストに繰り返し懺悔したこともあるだろうと思います。悔い改めたことが絵画表現に影響したことは間違いなく、その後のカラヴァッジョの作品をチェックするのが本書の最終章になるのかなと考えます。