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「マルタ騎士団」について
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第9章 犠牲の血 」の「1 マルタ騎士団」の気になった箇所を取り上げます。マルタ騎士団は西洋の中世史によく出てきますが、私はその実態を知らなかったので、本単元で学びました。「カラヴァッジョの《洗礼者ヨハネの斬首》は彼の最大の作品(361×520センチ)であり、この画家には珍しい古典的な調和と均衡を備えた大作として、『17世紀最高の絵画』とか『西洋美術における究極の傑作』などと評されてきた作品である。~略~この作品を注文し、受容したマルタ騎士団は、カトリック教会や王侯貴族とはやや異なる性格をもった特異な修道会である。」ここでマルタ騎士団の詳しい説明がありました。「この騎士団は正式にはエルサレム聖ヨハネ騎士修道会といい、12世紀にエルサレムに設立され、当初は十字軍活動を支援する病院活動を主としていたが、やがて軍事活動に重点を置くようになり、エルサレム陥落後は1291年からキプロス島、1309年からロードス島に活動拠点を移し、そこが1522年にスレイマン大帝の派遣したオスマン軍によって陥落すると、1530年にカール五世からマルタ島を与えられて移り住んだ。その後、1793年にナポレオンに島を追われるまでキリスト教の前線を守る守備防衛隊としてヨーロッパの名門貴族の子弟を集め、教皇庁からもいくつかの特権を付与されて大きな尊敬と信望を集めていた。」これがマルタ騎士団の実態で、大きな存在感を示していたようです。「17世紀に実際にマルタ島を訪れたと思われるベッローリはこの作品について以下のように記している。『この作品をカラヴァッジョはあらゆる技量を用いてきわめて大胆に描写し、カンヴァスの地塗りをそのまま残した。作品が見事であったので、騎士団長は十字章のほかに、彼の首に高価な金の首飾りをかけ、二人の奴隷を与えた。』しかしその直後、カラヴァッジョは逮捕・投獄の憂き目に遭う。」今回はここまでにします。