Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「血の寓意」について
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第9章 犠牲の血 」の「2 血の寓意」の気になった箇所を取り上げます。本単元も前単元に引き続き「洗礼者ヨハネの斬首」に関して論考を深めています。「この作品における処刑人のポーズは、犠牲のために喉を搔き切る行為を想像させる。クタジャーはこの作品について、犠牲の羊の屠殺を想起し、ヨハネの遺体の下にあるのは羊の毛皮であって、ヨハネが犠牲者であることを示唆していると記述しているが、左手で頭を押さえつけ、右手で小刀を握るこのポーズは同じカラヴァッジョの《イサクの犠牲》、あるいはラファエロの原作に基づく《ノアの燔祭》で仔羊を犠牲に捧げようとする男、さらにそれを借用したアンニーバレ・カラッチの《肉屋の店》における羊を屠殺する人物にも見られる。同様に、この作品においてもこのポーズは犠牲を示すと見てよいであろう。イサクの犠牲はアウグスティヌス以降、キリストの死の予型として広く知られていたが、ヨハネの死もまた、キリストの十字架上の死を予告するものであるとされていた。」西洋の中世絵画には血が描かれることが多く、滞欧中に訪れた美術館や教会で私は辟易していましたが、キリスト教では重要な意味を持つことを改めて知りました。「神に捧げる犠牲または燔祭においては、犠牲物の血を放出させ撒布させることが重要であり、聖書でも、犠牲に供した動物の血は『食べることなく水のように地面に注ぎ出さねばならない』と繰り返し命じている(申命記)。この作品でも洗礼者ヨハネの首からほとばしる血が、画面中央の前景にはっきり描写されている。カラヴァッジョの署名がこの血で書かれていることから、この血については画家の殺人体験と結びつけられ、画家の贖罪意識という精神分析的な観点から語られることが多かったのだが、この血には、作品の主題に関するより本質的な意味が込められていると考える。」今回はここまでにします。