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東京町田の「版画の青春」展
昨日、町田市立国際版画美術館で開催されている「版画の青春」展に行ってきました。副題を「小野忠重と版画運動」と称して、「激動の1930-40年代を版画に刻んだ若者たち」というフレーズもありました。展示作品数はかなり多く、小野忠重版画館から貸し出されている作品が目立ちました。私も20代の頃、欧州にいてドイツ表現派に心酔して木版画を始めていましたが、当時の東欧諸国で盛んだったプロレタリア美術に作風が近くなって、自作に違和感を覚えるようになりました。私は本展の図録を読んでそんなことを思い出しました。「版画の大衆化という目標を達成するために、小野(忠重)が集団結成以前に加盟していたプロレタリア美術家同盟による、プロレタリア美術の大衆化のための方策をモデルとして活動を展開させた。具体的には、地方で展覧会を開催することや、批判会や講習会を開催すること、『組織的生産』をスローガンに掲げたことなどを採り入れた。政治活動の実態はなかったが、このことからも新版画集団は左傾化した版画グループとも見られていた。」プロレタリア美術を版画普及に利用した小野忠重に対し、私は逆に自己表現が政治色を持つことを嫌った時期がありました。そのことで私は版画表現に距離を置いたのでした。「1930年代初めに新版画集団から始まって造型版画協会へと展開した版画運動は、その質的向上と普及のために、小グループが全力で臨んだ、純粋に版画のための運動であったといえよう。その版画運動は、1930-40年代の主要な版画家組織であった日本版画協会をはじめ、春陽会や国画会の版画部など、さらに1910-30年代に全国各地で発行された創作版画誌に集った版画家グループと比較しても、最も組織的に、求心力と高い熱度をもって進展したと考えられる。」(引用は全て滝沢恭司著)版画は複数印刷して頒布できるという特徴があります。リーダー格であった小野忠重が大衆化を狙ったのも版画のそうした特徴を生かしたものと考えられます。創作版画によるポスターが頻繁に作られているのもその一旦と言えるでしょう。