Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「ダダと超現実主義」について➀
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)には著者の「覚えがき」があり、そこには「この本は、1930年から1940年までに、主としてシュルレアリスムについて、または多かれ少なかれその影響下にあった時期に書かれたものを集めたものである。」とありました。それは私がまだ生まれていない時代で、若き瀧口修造が欧州で興った新しい芸術の潮流を血気盛んに取り入れて論じ、文章そのものが溌溂とした趣向に溢れていると感じました。「ダダは否定と肯定との同時的論理家である。たとえばトリスタン・ツァラの宣言書はあらゆる既成状態への否定意志の結晶であると同時に、その態度は高貴な論理によって、ひとつの精神構成によって飾られている。抽象的な極大な否定はひとつの純粋な肯定に到達するということがいわれないであろうか。ダダにおいて、反語は、ひとつの独特な真理を有している。」ダダイズムが既成の概念を壊していく行動の時代を私は知らず、先輩の芸術家たちの記録でしか、時代遅れの私は調べようがなかったのでした。ただ、変革の時代に立ち込めていた空気を私は理解しようと努めていました。「超現実主義が認めた夢はけっして現実的な生理的な夢ではない。人間の精神が証明の影の馬のように駆ける霊感の夢である。超現実主義の功績は霊感の範囲を拡大したことである。人間性の底知れぬ深さにまで彼らの想像の光線を導きつつあることである。超現実主義はその精神において、現在における現実上の倫理観念、社会観念、芸術観念を認めないであろう。それは現実に対する永遠の革命、純粋な人間精神の発露の関する限りにおいてである。」ダダイズムからシュルレアリスムに発展する時代の変遷が多少落ちついてきた頃に、私は芸術の門扉を叩いたので、こうした宣言文にある若く猛々しい叫びを、私は直接被ってはいませんが、先輩諸氏の足跡だけは前衛作品を扱うギャラリーで見ることはありました。美術史の一幕として収める前に、もう一度原点を振り返る必要があるかもしれないと感じるこの頃です。