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「ドイツ表現主義」について
「近代絵画史(下)」(高階秀爾著 中公新書)の「第14章 ドイツ表現主義」について気になったところをピックアップしていきます。まず表現主義とは何か、これに触れます。「最も優れたかたちでは、グリューネヴァルトの強烈な神秘主義や、カスパール・ダヴィッド・フリードリヒの汎神論的ロマン主義となって登場してきた。ドイツ表現主義の画家たちが、多かれ少なかれロマン主義の落とし子であることも、またノルデやベックマンが意識的にグリューネヴァルトに霊感を求めたことも、決して偶然ではない。~略~彼らは、世紀末の画家たちからその『表現』様式のみならず、既成の権威の否定と新しい芸術の創造という『革命的精神』をも受け継いだ。彼らが、フランスのフォーヴの画家たちと同じように、オセアニアやアフリカの未開人たちの芸術に強い関心を示し、さらに『青騎士』の仲間たちの場合に見られるように、子供の絵のなかに『創造的』価値を見出して、積極的にそれを評価するようになるのは、彼らのこの『革命的精神』と無縁ではない。」次に「ブリュッケ」について。「『ブリュッケ』(橋)という名称自体が、過去と未来とをつなぐものという意味で選ばれたものであり、新しい時代の芸術家としての彼らの誇りと自覚とを十分に物語っている。同じ表現主義と言っても、たとえばバルラッハが明白に中世への傾斜を示し、ノルデがいわば時代を越えた永遠の魂の深淵を造形化したのに対し、『ブリュッケ』の画家たちは、その青春の情熱をすべて『現在』に注ぎ、そのことによってドイツにおける最初の20世紀旗手となることができたのである。~略~『ブリュッケ』の歴史的意味は、何よりも意識された前衛芸術運動としてのグループ活動そのものにあったと言える。造形的な面から見れば、同時代のフォーヴの画家たちの方が、はるかに大胆な革新を試みていた。そのことは、現代に対する鋭い社会的意識をつねに感じさせるキルヒナーの裸婦と、純粋に造形的な問題を追求したマティスの裸婦とを比べてみれば、明らかであろう。キルヒナーのその鋭敏すぎるほどの社会意識は、グループを支える活力となった一方、晩年にいたるまで彼に憑きまとって離れず、ナチスの登場以後ついに彼を自殺にまで追いやってしまうほどのものだったのである。」最後にカンディンスキーを取り上げます。「モスクワに生まれて最初法律と経済学を学んだワシリー・カンディンスキー(1866-1944)は、その残した業績から見れば、疑いもなく20世紀絵画における最も重要な革新者のひとりであるが、しかし、年齢から言えば、きわめて遅く登場した革命家であった。彼が法律の専門家としてのアカデミックな道を棄てて画家を志したのは、すでに30歳になってからであったし、完全に具象的形態を離れた抽象作品を描くのは、ほとんど50歳に近くなってからである。」今回はここまでにします。