2025.08.11
今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「これが腹案だったのかと悟らせてくれるのは、じつはほかでもない作品なのだ アラン」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「芸術制作では、素材が、そして素材を扱っている手が精神に話しかけてくると、哲学者は言う。腹案が先にあってそれが作品に結実するのではなく、逆に作品を作ってみてはじめて自分が表現したかったものを教わるのだと。『彫刻家との対話』(杉本秀太郎訳)から。訳者はそれに重ねるように、翻訳もまた『もえがらを火の状態にかえそうとする試み』だと『解説』に書く。」私の彫刻制作は、まず素材に手で触れて、手を動かしながら考えて、最初に考えたイメージやらコンセプトを確かめていくのですが、イメージやらコンセプトが腹案とするならば、それよりまず手を動かして形態の具現化を図るのが得策と考えます。腹案はその確認に過ぎず、まさに手が精神に話しかけてくるのだろうと実感しています。そうすることによって、当初自分が考えていた以上のものが生まれる可能性があるからです。振り返ってみれば、私の作品は腹案を超えて結構満足させてくれたこともあったなぁと思い出します。それでも私は自らの制作スタイルを旧態依然としたものと考えていますが、このやり方はまんざらではないなぁと思いました。現代はAIによる企画や作画も可能であり、3Dプリンターによる立体造形も出来ます。腹案さえあれば、作品は完成できると考えている人も多いのではないかと察します。私のやり方はある意味では時代に取り残された方法であり、太古の時代から変わらない方法です。手が精神に話しかけることを、AIがどの程度理解し、試行できるのか、まだ未知数ですが、そこも見守っていきたいと、別分野での興味関心も尽きません。