Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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柳原流の西欧彫刻家交流記
先日から読み始めた「孤独なる彫刻」(柳原義達著 アルテヴァン)にまだ存命だった巨匠たちと著者が交流していた場面が描かれていて、羨望とともに楽しさを感じました。旧版「孤独なる彫刻」(筑摩書房)にも収められていますが、海外から帰国したばかりで、これを読んでいた当時の私は、そこに気も留めていなかったのでしょうか。まず、ジャコメッティとの交流を引用いたします。「ある日、私がモンパルナスのババンのあるレストランへ行くと、そこのカフェテラスにちょうどジャコメッティがいて、彫刻家のザッキンと絵描きのアトランたちと話をしていた。そして私に気づくと、彼は手招きして『このテーブルに来ないか』という。そこで、私が彼らのところへ行くと、こんな話が始まった。私はまだまだ未熟なフランス語でその話に加わったのだが、ジャコメッティが、『日本に行くには、どう行ったらいいんだ』という質問を発した。すると、アトランもザッキンも『そりゃ、飛行機か船で行くしかないさ』と答え、私もそのとおりという顔をしたのだが、彼は言葉を続けて『絶対に、陸から行く方法はないのか?』と聞く。そこで、私が『日本は島国だから、シベリアかなんかを通って陸で行っても、最後は海を船で渡るしかない』と答えると、ジャコメッティは両手を開き肩をすくめて言った。『ああ、絶望的だ!それじゃ、もう日本には行けないじゃないか。』」ジャコメッティは大地から足が離れるのが恐怖だったようです。次にマリーニのアトリエの点景です。「マリーニはミラノのブレラ美術館の中にある美術学校の先生で、この学校の近くに彼の仕事場があります。仕事場はうなぎの寝床のように細長く、入った所の壁にリトグラフが貼ってあり、そのうしろの壁に油絵がかかっており、アトリエのすべてが所せまいばかりにでき上がった作品や制作中の作品でうずまっていました。それでもアトリエは、どこまでも整然としていて、今仕事中の馬の木彫の削り屑だけが、そこであばれているような清潔さです。」マリーニはデッサン、リトグラフ、油絵と併行して彫刻の制作をしていただけあって、アトリエは素材の坩堝だったようですが、お互いが一つの意思で結ばれていると著者は書いていました。いかにもマリーニらしい制作環境だったように思いました。