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京都の「戦後ドイツの映画ポスター」展
先日、京都国立近代美術館で見た「戦後ドイツの映画ポスター」展は、時代背景を考える上で興味をそそる企画でした。第二次世界大戦後、ドイツは東西に分断されました。1990年に統一されるまで、ドイツの映画は東西の社会体制の影響を受け、それぞれ独自の展開を余儀なくされました。私は1980年代にオーストリアにいましたが、西ドイツに出かけた折にギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」(フォルカー・シュレンドルフ監督)を観て、ドイツ映画には内省的で表現主義的な要素があって大変気に入りました。戦前公開された「メトロポリス」(フリッツ・ラング監督)も再上映で観て、自分に衝撃を与えた作品でした。この時代に美しいアンドロイドを出現させている未来的な発想と技巧に驚きました。それら斬新な感性がポスターにも反映されているように思えました。東西に分断されたドイツの映画事情はどうだったのか、図録から文章を拾ってみます。「そもそも映画は自由に越境し移動していくものであり、一国内の映画史記述には収まらない。しかも敗戦とともにゼロから出発するわけでもなく、過去の時代との連続性の中にある。~略~1960年代は東西ドイツ間での大きな断絶の始まりである。まず1961年ベルリンの壁建設に象徴される東西ドイツ間の国境封鎖は、人的・文化的交流のとりあえずの終焉を意味した。~略~物理的および精神的な壁に分断されたとはいえ、東西ドイツそれぞれに1960年代の政治の季節、1970年代のポップ文化の台頭を体験し、ある種の世界的同時性の中で生きていたことはやはり紛れもない事実だろう。このような時代と空間を縦横に結び合うダイナミックな視野によって、国境や壁を越えて様々な影響関係を見出すことができるのは戦後の東西ドイツにおいても例外ではない。」(渋谷哲也解説)とある通り、東西ドイツのポスターを眺めても質的に変わるものは感じられず、独自の道を歩みながら、それぞれが新しい視覚表現を目指したことが今回の展覧会から感じられました。